本年度前期の4月27日(月)午後6時半より、菅野博史先生「『法華経』『法華文句』講義」第1回(通算95回目)が、開講されました。今回より「授記品」に入ります。講義範囲は、テキスト『法華文句(Ⅲ)』の842頁1行目の「授記品を釈す」から、847頁の3行目の「此の四の記は上の諸の授記を摂し尽くす、云々」までです。
経文の範囲は、「授記品」で四大声聞の摩訶迦葉、須菩提、大迦旃延、大目犍連が順次に授記を与えられていく全文が対象で、『文句』は随文釈義ではなく「授記」について解説していきます。
テキストの『文句』では、まず「梵音は和伽羅であり、ここ(中国)では授記という」と品名の説明から始まります。そして様々な経典に「授記を破る」文言があることを挙げ、その反論として通常の記別(授記)の解釈は、「法師品」始めの「法華経の一句一偈を聞いて随喜せん者には我れ皆「記」を与え授く」のごとしだと述べます。
そして授記を三因仏性に約して、①正因の記別は「常不軽品のようなもの」、②縁因の記別は「法師品の十種供養のようなもの」、了因の記別は上中下の三根の人に授けるようなもの、と解釈します。また他の経典は「二乗と悪と女には授記しない」が、法華経は全てに授記する、と述べます。そして『首楞厳経』の四種の授記、『菩薩瓔珞経』の八種の授記を説明して、四悉檀に約しての授記の解釈をしたところ迄で、講義は終わりました。
今回気になった点ですが、テキストに「正因の記の若きは、常不軽の如し」と「未発心に記を与うるは、常不軽の如し」などと《不軽の菩薩授記》が出てきます。この不軽の菩薩授記は、本来は仏しかできない授記の特例といえます。では、仏性思想の登場以前の『法華経』における授記(成仏の保証)思想が、『文句』においてどう解釈されているのか、また不軽菩薩の授記と仏性思想の絡み合いをどう考えたらよいのか、こうした疑問が残りました。
5月25日の次回は、『文句(Ⅲ)』の847頁4行目の「授記はまた受記、受欠、受莂という」からです。途中からでも充分ついて行ける講義ですので、ぜひ御聴講ください。(担当スタッフ)

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