講座「『法華経』『法華文句』講義」第34回講座報告

講座「『法華経』『法華文句』講義」第34回講座報告
2021年3月29日 commons
2021年3月29日(月)、第34回「『法華経』『法華文句』講義」がオンライン実況講義で開催されました。
テキストの『法華文句(Ⅱ)』では368頁1行目から375頁までの講義で、今回で序品が終わりました。
今回は、序品の答問序の偈頌についての講義でした。

「我念過去世」以下2行には広く曾てみる時節・名号・説法が同じであることが説かれており、
「仏未出家」以下には最後の仏の三同が説かれており、「時仏説大乗」以下には此彼の六瑞を説いている。
「爾時四部衆」以下には、昔仏の四衆が懐いた疑いが説かれている。(4504)
そして、「天人所奉尊」以下は、曾(過去)と今(現在)、当(未来)とが同じであることが説かれている。(休憩)
細かくは、はじめの2行は因人同を、「説是法」以下は説法同を、「満六十小劫」以下は時節同を、
そして「仏説是法華」以下は唱滅同を説いている。
次に「是徳蔵」以下は徳蔵菩薩への授記を頌し、「仏此夜」以下には、上の経を通ずるを頌している。
最後「我見灯明仏」以下の4行について旧説では、「是れ結成して物をして募仰せしむ」と解釈しているが、『法華文句』ではこれを否定している。
そして、この4行について初めの1行は、長行の「当説大乗経」を頌し、「今相如本」以下の2行は、長行の「教菩薩法」を頌し、
「諸求三乗人」以下は長行の「仏所護念」を頌していると解釈している。

また、文殊の伏難とは、弥勒の問いに対して文殊がはっきりとは言わないが心に抱いている疑問点を指し(テキスト348~350 頁)、
弥勒の伏疑とは、弥勒がはっきりとは言わないが、心に抱いている疑問を文殊が断じてさらに質問させないことを指している。
その弥勒の第一の疑いとは、古仏は『法華経』を説いたが、今仏は必ずしも『法華経』を説かないかもしれない、という疑いであり、
それに対する文殊の答えが「今仏も『法華経』を説かんと欲す」(名に関する疑いを断ず)である。
弥勒の第二の疑いは、古仏と今仏の説く『法華経』は名は同じだが、意義が相違するかもしれない、という疑いであり、
その問いに対する文殊の答えが、「今仏の光明を放つも、実相の義を助発せんとなり」(体に関する疑いを断ず)である。
弥勒の第三の疑いは、実相は無相であるから、だれも理解できないのではないか、という疑いで、
それに対する文殊の答えが「道を求むる者を充足すべし」(宗に関する疑いを断ず)である。
そして、弥勒の第四の疑いは、菩薩だけでなく、二乗をも潤すのか、という疑いであり、
それに対する文殊の答えが「三乗の疑悔を除断す」(用に関する疑いを断ず)である。
最後に文殊の伏難については釈しているが、弥勒の伏疑については釈しておらず、これを釈しているのは天台の義からであるとしている。


次回の第35回講義はコロナの感染拡大状況を鑑み、4月26日(月)午後6時30分から、オンライン実況で開催いたします。
受講の皆さまは、事前に送付するメールのURLをクリックしてご入室ください。
以上、よろしくお願いいたします。
(担当スタッフ)