特別講座「これからの天皇制」第5回講座報告

特別講座「これからの天皇制」第5回講座報告
2020年2月20日 commons
去る2月20日(木)午後6時30分より、講座「これからの天皇制」の第5回講義「天皇制から読み取る日本人の精神のかたち」が開催されました。講師の大澤真幸先生は、社会学者として政治・経済・歴史・宗教・思想・哲学とジャンルをこえての研究をされて、夥しい著作や共著を出されています。今回は、天皇にまつわる様々な謎を説きながら刺激的な分析を展開、最後に天皇制の将来を提案されてのご講義を頂きました。以下、レジュメに沿ってそれをまとめる形で、講義内容を報告いたします。
1 万世一系という謎
まず始めに、天皇制はなぜかくも長く続いているのか、の問いがある。日本人は「血の同一性への無頓着」や歴史への無関心があり、また天皇の継続性とは血統を超えた何らかの神聖な同一性によって裏打ちされているわけでもない。それでも「万世一系」が天皇家の権威として受け入れられているのは何故か。
2 空虚化する中心
日本独自の政治・権力構造として「権力の帰属先に関する楕円構造」を見ることができる。それは、権力を持たない(権威のみの)空虚な中心としての天皇を「X」として、実際の権力者をPとした二重焦点をもった構造である。
X(空虚な中心=天皇) ― P(実効的な政治権力の担い手)
しかし、壬申の乱からもわかるように古代の天皇制の最初からこのような楕円構造があったわけではない。このような権力関係が実質化したのは、摂関政治ついで院政においてである。Pはやがて武家政権(武士のリーダー)によって担われる。だが、なぜXが必要なのか。武家政権は、どうして、天皇制を排除しなかったのか。承久の乱では、天皇は島流しにされた。天皇制の継続性についての謎は、武士がどうして天皇制を温存したのか、という問いにおいて最も先鋭になるだろう。それは、日本社会において広く見られる神輿を担いだ権力というような「X―P」関係があり、それは「天皇制の遍在」ともいえる。
3 武士と天皇――軽蔑に近い・・にもかかわらず
武士が天皇の権威を認め、天皇に服していたとはとても言えない。室町幕府初期において高師直は「いっそのこと金か木で天皇を作れ」と語った。江戸期においても幕府は、天皇(公家)に対して上から目線で、勝手に「禁中並公家諸法度」を決め、東福門院和子の入内に当たっても宮中の邪魔者を排除して強行、朝廷に干渉した。しかし、江戸幕末の天皇は、まるで恐慌のときの貨幣のような存在となった。マルクス『資本論』に「ブルジョワは、~貨幣などは空虚な妄想だと断言していた。商品こそ貨幣だ、と。いまや世界市場には、ただ貨幣だけが商品だ!という声が響きわたる。~世界市場の魂は、唯一の富〔である貨幣〕をもとめ叫ぶ」。明治政府は「恐慌時の貨幣」だった天皇を中心に、王政復古と文明開化を行った。
4 武士の起源
武士とは何か?二つの条件がある。①「弓馬」の戦闘者であること。②領主であること。「武士」という名前の由来は、中国の「礼」思想から。武士とは、開発領主がそのまま武装したものではない。だが、そうだとすると武士はどこから出てきたのか。武士の起源は都であるとする説(高橋昌明の「衛府」起源説)は、あまり説得力はない。そもそも、どうして「将種」(たとえば坂上氏)は(有力な)武士にならなかったのかを考えると、武士の発生の前提となる状況に荘園公領制がある。桃崎有一郎の説(『武士の起源を解きあかす』)では、武士は、「王臣子孫」と「伝統的現地豪族」の合成によって、(摂関期に)生まれた。武士は、地方社会に中央の貴姓の血が振りかけられた結果発生した産物で、地方と中央と双方の拠点を行き来しながら成長したという。こうした説から、確保すべき二つの論点として、①武士の基底には「遊動性」がある。「その身は浮雲の如し、飛び去り飛び来りて、宿る処定まらず」。→これが反転して土地への執着となる。②地方豪族にとっては、天皇の「権威」を承認し受け入れる(天皇への)求心力と、天皇の影響力と権力から離れようとする遠心力が同時に作用している。それ故に、京都では摂関政治、地方(坂東)では武士が誕生した、という両者の同時性は偶然ではない。
5 武家政権の循環――弁証法的破綻
天皇を中心とした求心力と遠心力によって、次のように中世と近世で「同じ形式の循環」が見られる。
初めの「朝廷の中の幕府」は、鎌倉期には「朝廷の外の幕府」となり、室町期には「幕府の中の朝廷」となって、戦国時代を迎える。そして、豊臣秀吉は関白として「朝廷の中の幕府」となり、江戸期には「朝廷の外の幕府」となって、幕末に「幕府の中の朝廷」になるという同型の循環があるが、しかし、弁証法的総合でもあるべき「幕府の中の朝廷」とは、実際には破局・分解を意味していた。
6 明治憲法の下で
天皇は親政したのかといえば、否である。明治憲法が規定しているのは、天皇の「無責任」。明治憲法の下でも、X―P関係は維持されている。では、誰が、何がP(実質的な責任ある権力者)を担ったのか。明治憲法で読む限り、国政の中心Pはどこにもない。議会(民選議員)も、内閣も、大臣も、首相も、そして天皇も、Pではない。何がPを担っていたのか? たとえば「元老」。
7 日本人の精神のかたち
天皇なるものを成り立たせている権力の構成「X―P」は、近代(明治)にあってもそのまま維持された。このX―Pの二項関係の、最も顕著な形態が、天皇と武士との関係。X-P関係を成り立たせているのは、武士の天皇に対する両義的な態度。天皇の権威の拒絶的な受容である。超越的なものへの「拒絶的な受容」こそ、日本人の精神のかたちを規定するマトリックスだというのが、私の仮説。天皇制は、このマトリックスの至高の実例。皇帝(中国)と天皇(日本)の関係も、天皇-武士の関係と同型的である。
8 戦後の天皇制――その意図せざる効用
戦後半世紀近く、左翼は天皇制に批判的で、天皇制の廃止や打倒を目標としたが、この時期は天皇制に対する批判を公然と表明し続けても、政治的に抹殺されなかった日本史上唯一の時期だった。しかし、左翼はほんとうに天皇制に反対だったのか? 「真の敵は天皇だ!」といえば反目し合う左翼各派が一つになって盛り上がるような、「天皇萌え」ともいうべき自覚されない感情があったのではないか。いま世界的に広がっている民主主義の危機(民主主義的な合意の前提となる合意の崩壊)の中で、しかし日本は破局には至ってはいない。なぜか…。その有力な原因のひとつが天皇制である。天皇制の、民主主義に対する意図せざる効用がある。天皇を保持しているその限りで、「我々」はすでに、最も基本的なレベルでは合意しており、この合意こそが、民主主義的な結果を受け入れる前提となっているのだ。天皇制とは、何か積極的な理念や主義への合意ではなく、我々がすでに合意しているということの合意、合意が可能であるという合意である。
9 これからの天皇制
では、天皇制がある限り、日本の民主主義は安泰なのか。逆である。グローバル化の中、天皇制は、民主主義にとって大きな障害になるだろう。天皇制が将来のために解決しなくてはならない(少なくとも)二つの課題は、①天皇制の人権(基本権)侵害。②生物としての人間にとって持続可能性がないことである。こうした諸問題をすべて解決するため、天皇制の将来のためのひとつの提案は、「日本国民が、天皇陛下を皇室から選挙で選ぶ」ことである。国民が選び信任した「天皇」、これが一つの解決策である。
以上の「天皇制の将来」についての驚くべき提案をされて、目がまわるほど刺激的に展開された講義を終えられました。その後の質疑応答では多くの質問者が出て、質疑のみならず意見も述べて、大澤先生も一つ一つ丁寧に答えられて、大いに盛り上がりました。大澤先生には、2時間半以上にわたるご講義と質疑応答を頂きまして本当に有難うございました。(上記のまとめの下線はスタッフによる)
次回は、3月26日(木)午後6時半より、片山杜秀先生による第六回講義「「象徴天皇」と「人間天皇」の矛盾について」です。ぜひ、ご聴講のほど宜しくお願い申し上げます。(スタッフ)