講座「『法華経』『法華文句』講義」第21回講座報告

講座「『法華経』『法華文句』講義」第21回講座報告
2019年12月23日 commons

今年最後の菅野先生「『法華経』『法華文句』講義」が、12月23日に開講されました。前回の経文「皆於阿耨多羅三藐三菩提。不退転。皆得陀羅尼。楽説弁才。転不退転法輪。供養無量百千諸仏。於諸仏所。植衆徳本。常為諸仏。之所称歎。以慈修身。善入仏慧。通達大智。到於彼岸。名称普聞。無量世界。能度無数。百千衆生。」の続きで、テキスト185頁の一行目からの「「通達大智」は第十地を歎ず」からです。

「通達大智」は第十地(法雲)を歎じており、次の「到於彼岸」は十地の内徳を歎じて、「名称普聞」は十地の外徳を歎じている。そして「能度百千衆生」は十地が前に勝れるために「態く(衆生を)度す」と称している、という。諸地はそれぞれ多くの功徳があるが、『文句』は分かり易いように各地の徳を特化して解釈(ある徳を「出」し、他の徳を「没」すので「出没して釈する」という)している。また十地として竪に分かり易く解釈したが、横に歎ずれば「初住に約して」次のように解釈していく。

初発心住は一発一切発で中道、薩婆若海(一切智)に流れるが故に「得不退転」という。初住に三惑(見思・塵沙・無明)を転じて三徳を持つが故に「得陀羅尼」という。初住の真解の口密の功徳の故に「楽説弁才」という。初住にて能く作仏・説法・教化するので「能転不退法輪」という。初住で不思議の神力を得て諸仏に仕えるが故に「供養百千諸仏」という。初住に実相の「本」を得て「得」を植えて、仏知見を開くが故に「為仏之所称歎」という。初住の無縁の「慈」が遍く法界に応ずるが故に「以慈修身」という。初住に秘密蔵に入るので「善入仏慧」という。初住の一心三智に障りないために「通達大智」という。初住の事理は分に究竟するので「到於彼岸」という。初住の円徳は名にかなうので「名称普聞諸仏世界」という。初住は能く安立救護するので「能度百千衆生」という。

次に問答として、なぜ諸句の功徳はみな初住を歎ずるのか?に対しては、他の位も当然同様であり、初住ですらこの功徳なので後の位はなおさらである、という。『法華論』では、「得不退転」に十種をみて上記の諸句(経文)に当てている。

次の「観心釈」」では、空・仮・中の三つの観心より解釈していく。陀羅尼について、空観は旋陀羅尼、仮観は百千旋陀羅尼、中観は法音陀羅尼ととして、空観で観心するに聞持陀羅尼、仮観で観るに行持陀羅尼、中観で観るに義持陀羅尼とする。次に無礙弁(説法に障り無し)について、また不退の法輪について、また三宝ついて、衆行と観智の心について述べながら、●空観は「通の仏慧」・「一切地の彼岸」・「真諦を開く」、●仮観は「別の仏慧」・「道種智の彼岸」・俗諦を開く」、●中観は「円の仏慧」・「一切種智」・「中道第一義諦を開く」と配当して、空観は四住の四千の衆生を度して、仮観は塵沙の百千の衆生を度し、中観は無明の百千の衆生を度して「一心三観、無量の徳あり」としている。

次に「五に別名とは~」として、次の経文「其の名を文殊師利菩薩、観世音菩薩、得大勢菩薩、常精進菩薩、~導師菩薩という」の解釈に入って、文殊師利菩薩と観世音菩薩の説明に触れた時点で時間となり、テキスト191頁の5行目で講義を修了された。

次回は、来春の1月27日に今年度第10回目の講義となります。ご参集の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。                    (文責:スタッフ)