平成29年1月21日、花野充道先生の第10回目の講義が行われました。
今回は、日蓮聖人が図顕された曼荼羅本尊の相貌の変化について講義されました。
日蓮聖人は『観心本尊抄』に、「地涌千界出現、本門釈尊為脇士、一閻浮提第一本尊可立此国」と述べられています。この御文を「一尊四士本尊」の依文と解釈する学者もいますが、その場合、「〇〇〇〇が出現して、地涌千界を本門の釈尊の脇士となす一閻浮提第一の本尊を此の国に建立する」と読まなければなりません。しかし、そのような読み方は到底不可能です。この御文が、「地涌千界」を主語としていることは、動かし難い事実です。保田妙本寺蔵の「万年救護本尊」に、「未だ此の大本尊ましまさず。……上行菩薩が世に出現して始めて此れを弘宣したまう」とある以上、地涌千界=上行菩薩=日蓮聖人が、一閻浮提第一の本尊=此の大本尊=大曼荼羅を始めて弘宣=図顕したまう、と解釈すべきである、と述べられました。
続いて御本尊の相貌の変化について、文永八年十月九日に始めて図顕された「楊枝本尊」(1番本尊)には、題目と日蓮花押と不動・愛染の梵字だけであることから、日蓮聖人が始めから不動・愛染の信仰を持たれていたこと(不動・愛染の守護を期待されていたこと)を説明され、さらに無記年(文永九年?)の「一念三千本尊」(8番本尊)を取り上げて、その中に梵字で密教の種子が記されている事実を指摘されました。
また文永十一年の「万年救護本尊」(16番本尊)と、弘安四年の本妙寺蔵の「本尊」(103番本尊)を取り上げて、文永、建治、弘安と変化する本尊の相貌について詳しく説明され、これらの事実から、日蓮聖人の曼荼羅本尊は、決して本門の教主釈尊から客観的に相伝されたものではなく、あくまで主体的に日蓮聖人が創意工夫して完成させていったもの(日蓮聖人の己証に基づいて整備整足されていったもの)である、と述べられました。
このような方法で日蓮聖人の思想形成を考察することが「思想史研究」である、と締めくくられ、1月度の講義を終えられました。
次回は、日蓮聖人の花押の変化について、異議異論を紹介しながら、講義してくださるそうです。皆さまのご聴講をお待ちしています。
(文責:編集部)