中世はどのような時代かという時に、松尾剛次さんは〝破戒の時代〟とと捉えている。破戒は否定的なイメージだが、穢れに関わる死者の供養などに積極的に関わることで新しい仏教の姿を示している。
菊地先生は中世は〝偽書の時代〟と捉えており、真正文書に対して多くの偽書が生まれ、偽書を悪い物として捉えない時代背景がある。偽書は正統がはっきりしている時こそ異端・偽書が成立する。正当によって生み出された異端は必ず排除されていく。
2017年の法華コモンズで『吾妻鏡』を講義した。(『吾妻鏡と鎌倉の仏教』吉川弘文館/2023年3月刊行)『吾妻鏡』は鎌倉幕府付の公的歴史書であるが故に、幕府にとって都合の悪い事実は無視された。
中世は統一的権力が定まらない分散化された社会で、各地・各集団での争乱が起こっていた。その裁判においては客観的な証明能力よりも、総体として主張の全体を「物語る」余地が残されていた。異端(偽)を判定する正統(中心)を欠いた中世社会に「偽書・偽文書」は存在しないが故に、偽書は自由に生成され流通していた。と考えると、強い権力に縛られていない社会は、文学・宗教・思想にとってはそう悪いものではないか。
また、5世紀中国の蕭子良による中国撰述経典の成立、東アジアにおける戒律思想の発展、中国での釈経録成立により偽経が締め出される課程、日本仏教への影響などを解説。最後に素朴な正統か異端か(真書か偽書か)という2元論からの解放し、時代背景、地域文化、翻訳の観点など密接に絡み合う関係をゆっくりほどいていく試みが必要とした。(担当スタップ)