11月14日(月)磯前順一先生の講義「震災転移論―末法の世に菩薩が来りて、衆生を救う」の第二回目となる「差別論 大阪芦原橋——不可視の社会構造」が開催された。今回のオープニング曲は、吉田拓郎「人間なんて」。初めに訪れたのは、日本初の人権に関する総合博物館である「大阪人権博物館」、愛称はリバティ大阪。西日本最大の被差別部落といわれ、西浜水平社発足の地でもある大阪芦原橋に1985年開館したが、2020年に市有地明け渡しのため35年間の活動を閉じた。リバティ大阪の「リバティ」は解放だが、果たして人間が差別から解放されることできるのか、その答えを求めて「宗教と差別」研究会を作り、昨年に「宗教と差別」全四巻のうち「なぜ私たちは差別するのか」を惹句にした第一巻本が発刊された。この研究会で、磯前先生は「研究者の当事者性とは何か」に悩んだという。ここで沢田研二の「遠い夜明け」を流し、今までの栄光を捨てて心に正直になって生きようとの歌詞に仮託して、磯前先生も50歳の頃に成功した学者としての肩書を捨てて生きようと考えたという。本の監修者で部落解放同盟浪花支部長の浅井明人さんは言う。「差別とは何かを酒を飲みながら語り合いたいが、大学の先生、社会活動家などみんな、自分の論文を仕上げたり成果がでるとさよならや。結局、自称差別史専門家だけがの頃、わいらの村を囲んでしまう」。差別の事実が消えてしまえば、加害者が自らの行為の責任の問われることもなく、被害者が告発することもできない。差別の過酷さはこの「不可視の構造」にある、と磯前先生は語る。最後に、吉田拓郎の「唇をかみしめて」を流して、講義は終了。質疑の時間では、磯前先生と共に関西の被差別部落の地域を回りたいとの意見や、京都に住んでいて気付かなかった被差別地区を尋ねの質問が出るなど、予定時間を大幅に延長して終わった。
次回は、12月12日に第3回「死者論 南相馬——謎めいた他者の眼差し」です。ぜひご受講ください。 (スタッフ)