講座「『法華経』『法華文句』講義」第50回講座報告

講座「『法華経』『法華文句』講義」第50回講座報告
2022年7月25日 commons

去る7月25日(月)に通算50回目となる菅野博史先生の「『法華経』『法華文句』講義」が開催されました。【経文】は「舎利弗よ。若し我が弟子にして、自ら阿羅漢・辟支仏なりと謂わん者は~」から、「汝等は当に一心に信解して、仏語を受持すべし。諸仏如来は言に虚妄無し。余乗有ること無く、唯一仏乗のみなり。」までです。【テキスト】は、514頁11行目から、524頁の9行目「此れは直だ異解なるのみ。此の義を用いざるなり。」までです。

今回の講義では、テキストに沿って「五濁」を蔵通別円の四教や、四悉檀に当てた解釈や、反対語の「五清」についての説明とともに、先生が自著『法華経入門』の中から引用された内容が実に刺激的でした。『法華経』が、菩薩のみを教化対象にしていることや、その流布が仏滅後の「無仏世界」で行われると説いていることを踏まえて、「無仏の世の阿羅漢はどのようにして救済されるのか」を自問された内容です。以下に結論部分を載せます。

「私は、『法華経』の最大の関心事は、法師品以降に見られる釈尊滅後の『法華経』信仰者の成仏の問題(これには布教の対象として、大勢の他者の成仏の問題も含む)であり、その観点から見るならば、『法華経』前半の声聞授記は『法華経』の主張と相容れない部派教団との対立の乗り越えという課題から生まれた二次的な主張ではないかと考えた。もちろん、『法華経』の最大の主張は、一切衆生の平等な成仏であるから、それに声聞が含まれるのは当然であるが、『法華経』におけるあれほど多量の声聞授記の記述は、部派教団からの批判の乗り越えという問題意識を下敷きに見なければならないと考え、あえて想像をたくましくして問題提起をした。」(『法華経入門』48-50頁)

次回は8月29日(月)の開催で、テキストは524頁の10行目からになります。方便品の偈文に入りますので、内容の復習になります。ぜひご聴講ください。 (担当スタッフ)