2022年7月19日18時30分より【歴史から考える日本仏教⑨】第4講 南都堂衆の活動と持経者 が開催されました。今回も対面式、Zoom受講式のハイブリッド形式となりました。
○はじめに
→「体制内」と「体制外」―かつての日本仏教史の通説―
・持経者は体制外の自由な存在⇔体制内
・1970年代 旧仏教を顕密仏教として再定義←菊地先生は批判的
・権門寺院 学侶・堂衆・聖の三階層に分類
・顕密体制論→学侶中心になってしまっている←残存史料から致し方なさも
俊乗房重源と東大寺の持経者
→持経者としての重源
・京の下級武士の子
・若い頃に山林修行者となる
・山林踏破中、経典を暗誦 ← 可能なのだろうか
・重源は東大寺の僧ではなく、勧進僧である
→重源没後の東大寺持経者
・東大寺、興福寺という寺院の枠を越えて持経者として寺内に集団化した
・寺院の経済、金融活動
>江戸時代、薬師寺の経済的逼迫>富くじを特別許可>それを原資として貸付を行う
・東大寺修二会>学侶、堂衆が一堂に会し共に行う稀有の法会
学侶:荘園を多く持っている
堂衆:荘園をさほど持っておらず小法会で収入を得る
2 持経者と芸能
>この2つは区別すべきものか>明瞭でない
→能読の宗教性
・『法華秘中略歎抄』読誦観心>一心三観智をめぐらして読誦する>法華経を法身智、自身を報身智
3 虎関師錬からみた能読・持経
→能読の系譜
・代表者として慶忠、能顕
→『元亨釈書』音芸志
・伎と行の異なりがある(伎は娯楽に脱した堕落した音芸、行は修行としての正しい音楽)
・念仏行を持経者行業の亜流として低く位置付ける
4 持経者から日蓮へ
→昼夜十二時の持経者
・自らを「昼夜十二時の持経者」と称しその自覚から法華経持経者としての自覚、
さらに進んで持経者からの決別
・虎関師錬と日蓮は天台を共通基盤とし問題意識が重なる部分がある
→ふたたび行と技を問う
・聖と持経者を二項対立で考察することの限界、両者を同時に視野に入れながら様々な宗教的傾向
を関係性に於いて相対的にとらえる思想的系譜論の再構築が必要(菊地先生結論)
〈質疑応答〉
・学侶の中に持経者は居たか
→存在した
・法華経一部暗誦がそもそも可能なのか、方法を述べた史料が存在するか
→存在しない、慈円は二十歳の時に九十日をかけ成就したと言われるが五十歳になるまでに忘失したという
・法華宗陣門流にかつて併読者が居れば一部暗誦の方が存在した
(スタッフ)