2021年10月19日(火)午後6時30分より、菊地先生の講座【歴史から考える日本仏教⑧】〈裏から読む鎌倉時代―日蓮遺文紙背文書の世界〉第1講「日蓮遺文紙背文書とはなんだろう」が行われました。新型コロナウイルス感染症感染者の減少を受けまして、新宿常円寺祖師堂での対面講義と、オンライン講義を併用して行われました。
第1講となる本講では、日蓮遺文紙背文書について、中山法華経寺文書などを用いて、ご講義いただきました。以下、内容について要点を絞りご紹介致します。
はじめに
紙背文書とは、ここ数十年で着目されるようになったものであり、これまで重視されていた文章の裏から、当時の様子や状況を知ることが出来る非常に面白いものであること、もともと反故にされる可能性のあった内容などから、表面を書いた人物、今回の場合は日蓮の周辺を知ることが出来るものであると示されました。
1 紙背文書とはなにか
古代において、紙は貴重品であり、木簡が主であったが、平安期以降、使用した紙を漉き返したり裏面を利用するなどして再利用されるようになったこと、反故紙であるため、著者の個人的利用、日記や典籍の書写などに用いられていたが、その際にもいくつかの紙を下処理して成巻し、用いられていたこと、その成巻についても継ぎ足しなどが行われており、その過程で紙背文書に日付などが残っていれば、二次利用面をいつ頃どのように用いたかがわかるなど、紙背文書から読み取れる情報や、推理することの面白さについてご教授いただいた。
そして、紙背文書は残るはずではなかった文章や一時的な効力しか持たない書状などが残されているケースがあり、当時の人が伝えようとは思わなかった歴史の側面が見て取れるものであると話された。
2 日蓮遺文紙背文書の構成
現存する日蓮遺文紙背文書は、檀越の富木常忍の手によるものであるが、常忍が千葉氏に仕える事務官僚であり、千葉氏関係の文書を預かり、取捨選択・廃棄を取り仕切っていたこと、反古になった文書を日蓮のためのノートとして提供しており、それを日蓮が活用、日蓮滅後も日蓮の直筆ということで保管されていたことから紙背文書を含む文献が現存しているという流れを示された。その上で、それらの文献が近年になって着目され、印影本などで刊行されることによって私達が知ることが出来るという紙背文書成立の流れをご講義いただいた。最近では活字化もされており、研究のための史料としてその価値が再評価されていることもお話しいただいた。
3 表裏の関係から考えるー「秘書要文」を例にー
日蓮遺文紙背文書の中から「秘書要文」をとりあげ、その成立や筆跡、内容について先行研究を縦横に取り入れながら、その特性について話された。特に紙背文書の成立年代から、日蓮のノートを常忍が伝領したのではなく、むしろ常忍のノートの一部に日蓮が書き入れたのではないかという可能性を示唆された。こうした日蓮の姿は、日蓮が徒弟をどのように教育していたのかという知の継承にも関わる問題であり、新たな可能性を示していただいたことに、聴講者からは驚きの声も聞こえた。さらに巻子本から冊子本へと改装されるものについては、各丁の折り山に文字が来るのが一般的であるという、書物も特徴から「秘書要文」がはじめから冊子として、つまりノートとして成立していたこと、内容毎に丁を改めているという特徴、日蓮直筆と思われる箇所が各丁の裏面のみにあることから、このノートとしての性質を明らかにされた。それは、日蓮から常忍への知の伝授のありかたを示すものであり、今にそのノートが伝わる遠因でもあると話された。
最後に菊池先生は、紙背文書を持つ文献が、日蓮もしくはその近くにいる者のノートとして存在している以上、その機能や伝来について史料的性格を細かく見ていく必要があると述べられた。それらの考察が紙背文書を持つ文献の思想史的意義の考察につながり、これまで他の遺文に比べて十分な注目を浴びていなかった「ノート」類から見いだせる新たな日蓮像につながる可能性について示唆された。すなわち、浄書でない「ノート」類にこそ、日蓮の知の受容と展開が隠されている可能性があり、それは日蓮門下特に直弟らへの知の継承についても知りうる鍵であるということである。
講義後質疑応答がなされたが、多くの質問が集まり、菊地先生も丁寧にお答えくださいました。久しぶりの対面講義ということもあり、菊地先生の熱の入った講義に聴講者一同、これまであまり知られてこなかった視点に大いに感銘を受けました。
次回は11月16日(火)18時30分~【歴史から考える日本仏教⑧】〈裏から読む鎌倉時代―日蓮遺文紙背文書の世界〉第2講「日蓮と富木氏・八幡荘」です。新宿常円寺祖師堂での対面講義と、オンライン講義を併用(ハイブリッド)して行う予定です。多くの方の聴講をお待ちしております。(スタッフ)