講座「日蓮をはぐくんだ房総地域の歴史と宗教」第5講オンライン講座

講座「日蓮をはぐくんだ房総地域の歴史と宗教」第5講オンライン講座
2021年8月17日 commons

2021年8月17日(火)午後6時30分より、菊地先生の講座【歴史から考える日本仏教⑦】〈日蓮をはぐくんだ房総地域の歴史と宗教を考える〉第5講「室町戦国時代の房総地域」が行われました。引き続き緊急事態宣言発令中のため、これまでと同じくzoomによるリモート講義となり、受講者はそれぞれオンラインにて受講しました。

第5講となる本講では、政治の中心が京に移り、さらには分裂的様相が深刻になる中世後期における房総地域について多角的に見ていきました。以下、内容について要点を絞りご紹介致します。

 

はじめに

中世後期が、それ以降の近世の「天下泰平」観、近代の中央集権的統一国家観に比べ、分裂的様相が深刻に見え、否定的に捉えられがちな時代であるという前提自体を考え直す必要があると示唆された。その上で、分裂的な様相の中でも中央や周辺地域と房総地域がどのように関わっていたのかを多角的に見ていく必要があることを述べた。

 

1 房総の分裂と興亡

 

鎌倉幕府の滅亡と、それに続く建武の新政、南北朝期の内乱は、単に政治の中心のみで発生した、二勢力による対立だけではなく、各地方や家庭内、親族間の問題等を抱えた全国の勢力が絡んだ、草の根の内乱という様相も無視できないと、指摘。その上で、房総と九州に勢力があった千葉氏が、最終的には尊氏側に味方し、領地や守護職を安堵される流れを非常に多くの史料を提示しつつ講義された。

その後、関東の安定のために設置された鎌倉府が成立し、鎌倉公方が治めるようになると、関東管領職に任じられていた上杉氏と公方との対立が表面化し、関東ではどちらかの勢力に与することで、何度も内乱が発生したこと、常に対立勢力が一定ではなく、千葉氏も、管領方、公方方それぞれに与したことがあること、他の勢力でも同様のケースがあり、房総のみならず、関東が分裂と興亡の様相を呈していたことを系図や資料を基に緻密に教示された。

 

2 室町期の房総地域

鎌倉公方がその拠点を古河(茨城県古河市)に移し、古河公方となった後も、公方、管領を頂点とする二つの勢力が激突していたこと、こうした、関東での対立が、それを治めようとする室町幕府をも疲弊させ、延いては親族同士の争いをも生み出したことで、後の応仁文明の乱を引き起こす遠因となり、全国的な内乱期(戦国時代)へと突入していったこと、その中で房総では千葉氏宗家の中でも一族間の争いが生じ、宗家が滅亡するという事態に発展していたことを示された。

 

3 戦国時代の房総地域

そのような混乱に加え、伊豆に新たに堀越公方が、その後は小田原を拠点とする後北条氏の台頭を受けて、関東各地が戦場となっていった流れを講義された。房総では安房に里見氏が勃興し、新勢力として千葉氏を脅かしつつ、北条による勢力拡大という、混沌とした状況下であったこと。その流れの中で守護職として房総を支配していた千葉氏の衰退、最終的には北条の勢力下に入り、その北条氏滅亡時に千葉一族の多くが運命を共にし、支配者としての時代を終えていった流れを、幅広い資料から教示された。

古代では、京からの東遷貴族を担ぎ上げながらの関東での争い、さらにそれに関与する中央政権の動きがあったことは、以前の講義で話されていたが、中世後期にも、権威としての足利氏の存在をどのようにとらえ、対応するか、その中で同時に各勢力で生じていた一族同士の対立。そういったものが房総を含む関東全域を戦場としていたこと、千葉氏もその中で最終的には没落していった流れを示された。

 

最後に菊池先生は、この関東の様相を分裂的様相の一言で片付けるのではなく、家の維持や権威との関わり方、時には遠交近攻という戦略も含め、各勢力が翻弄されつつも生き残りを賭けて考え行動していた姿を、きちんと捉える必要があると示唆された。

 

聴講者の中に千葉氏と縁の深い方も居られ、質疑応答も活発に行われました。講義時間を越えて、菊池先生も非常に丁寧にお答え頂き、聴講者一同、歴史を読み解くことも面白さ、最新の研究に触れ、大いに感銘を受けました。

次回は9月21日(火)18時30分~第6講「房総地域の宗教文化と地域史から考える日本宗教史」です。引き続きオンライン講義の予定です。多くの方の聴講をお待ちしております。(スタッフ)