法華仏教講座 第2講:「慶林坊日隆の一仏二名論について」

法華仏教講座 第2講:「慶林坊日隆の一仏二名論について」
2019年11月16日 commons

さる令和元年11月16日(土)午後4時より法華宗本門流 興隆学林専門学校教授 平島盛龍師による「法華仏教講座」 第2回「慶林坊日隆の一仏二名論について」の講義が新宿・常圓寺祖師堂地階ホールにて行われました。八品派教学についての本格的講義は三浦和浩先生、大平宏龍先生に続き3回目となりました。今回の特色としては八品派祖日隆師の「一仏二名」という教学思想にテーマを絞り、その教学用語の淵源を上古並びに中古天台教学の中に見ることが出来るというものでした。平島先生より「従来、日隆教学は当時の日蓮教学より中古天台教学を払拭せしめたものという見方がなされてきたが、必ずしも全てに於いてそうだとは言い切れない」という趣旨のお話がありました。具体的には「地涌を釈尊の本因妙とみ、さらに両者の関係を示した用語として御聖教に散見する<自性所生の菩薩界><本有の支分>などのタームが天台文献からのものであると考えられることからすれば、思想史的には当時の天台義に隆師の一仏二名義の論拠があるとみることもでき」るが、一方で「天台宗の義」は「隆師の一仏二名義の核心的内容である上行-下種・釈尊-脱という教主の違いによる応用の差異を明確に分別するところまでには至っていない」と結論づけられました。また隆師ご自身の一仏二名論として『私新抄』を引用、その根拠を宗祖の『本尊抄』に求められました。また先生より二名の共通するところは衆生に対する飽くなき慈悲心であるということを、如来壽量品の父たる良医、私たち衆生を示す失心の子に対する使いがその本質に於いて同じという観点からご説明頂きました。

質疑の時間では一仏二名という言葉の持つ語感からか、釈尊上行同体は法華経の経意(釈尊上行は法の授受の関係であること)にも違い、ひいては富士派でいう所の日蓮本仏論にもつながるというご意見もありましたが、それについて平島先生より「あくまで釈尊上行に於ける師弟の関係は崩れないこと、日蓮聖人も上行の垂迹であってその立場は不変である」旨回答がありました。あくまで一佛が二名に開けるということを意味する(日蓮本佛論は二佛、別体としての存在)ということであります。

私の個人的感想を申し上げて恐縮ですが、この関係はかつて国柱会の山川智応師が言われたようにキリスト教の三位一体説に酷似しているのではないでしょうか。神とイエスは父子の関係であることは不動でありながらその神性に於いて同一を表している、かつて立正大学の茂田井教亨先生は日蓮聖人の罪意識についてキリスト教の原罪に近い旨を論ぜられましたが、もしかすると日蓮聖人教学を解く鍵はキリスト教にあるのかもしれません。因みに山川師は三位一体の残り一つ、聖霊にあたるものを「本化教学における種である」と言われていました。

最後になりますが、今回の平島先生のご講義は本会特別講義の中でも大変有益な内容であり、今後も平島先生には是非御講義頂きたいと念ずる次第です。

(文責 S.T)