講座「鎌倉仏教史の名著を読む」第2回講座報告

講座「鎌倉仏教史の名著を読む」第2回講座報告
2019年11月9日 commons

令和元年11月19日(火)午後6時30分より、菊地先生の講座【歴史から考える日本仏教④】〈鎌倉仏教史の名著を読む〉第2講「家永三郎「日蓮の宗教の成立に関する思想史的考察」を読む」が行われました。今回の論文の著者家永三郎は、1955年以来のいわゆる一連の「教科書裁判」で有名です。

本論文の初出は『歴史学研究』118・120(1944年)。『中世仏教思想史研究』(法蔵館、1955年、初版1947年)に収録され、同書は『上代仏教思想史研究』(法蔵館、1966年、初版1942年)とともに、家永の代表作であり、戦後の鎌倉仏教研究の出発点としてその後の研究者に位置づけられた。その内容は斬新であり悪く言えば珍説・奇説。また本論文では日蓮遺文が真偽を分別せず引用されており、今日においては日蓮の思想を穿鑿する上で、真偽の判定は重要な要素であるが、この時代は真偽を判別せずに引用するのが普通であり、それを踏まえた上で改めて本論文を捉え直すことが必要である、とご教示いただきました。

本論文の内容について、特に以下の点についてご説明いただきました。はじめに、家永は日蓮・親鸞・道元等いわゆる鎌倉新仏教の祖師を「思想家」として捉え、それらの各宗教家の相互関係を究めることを目的とした。一、日蓮の思想は多量の旧仏教的要素を含んでおり、日蓮が古代の鎮護国家仏教をそのまま継承したのであれば、「日蓮の宗教をいわゆる新仏教としてのみ理解することに大きな障害を与える」とあり、菊地先生は、家永は古代=鎮護国家仏教→中世=民衆仏教、という思想史的な枠組みを理解した上で論じている、と指摘。二、日蓮と法然浄土宗との同一性について、七つの特徴を列挙し論究している。法然と日蓮は思想的に反対を向いているようで実は共通点が多い。三、日蓮を法然思想の継承者として捉えており、菊地先生は、川添昭二、高木豊も同様の見解を示しているが、初めて指摘したのは家永である、と指摘。四、前章に於いて日蓮を法然思想の継承者と論じていたが、天台宗の伝統の上に浄土信仰を吸収して日蓮思想が成立した、とトーンが変化している。五、日蓮の唱題は、沙弥・聖の持経信仰などの先行の儀礼から発展したものではなく、称名念仏を模して創出されたものである。六、日蓮の思想的発展過程として、日蓮と法然がそれぞれに生きた時代的状況について、法然が源平合戦の混乱期、平安末期の社会的転落期であったのに対し、日蓮は幕府と朝廷が安定した時期を生きた。菊地先生は、家永は太平洋戦争の混乱期、即ち法然と類似した時代状況を生きた、と指摘。七、本論文のまとめとして、家永は日蓮の思想について明らかに思想的な低さを示している、迷信的性質を帯びている、などと批評。また、鎌倉新仏教の異なる三つの立場について、1、念仏宗。2、旧仏教の継承者。3、禅宗。と規定し、この中で日蓮の立場を2、旧仏教の継承者とし、旧仏教的要素が濃厚に残っていて全体として頗る雑駁又は煩多な内容をもつ、と結論づけている。

課題と展望

・『縮刷遺文』から真蹟と疑義濃厚な遺文を分けずに引用している。また初期と後期の遺文を同列に扱い、思想的展開を顧慮しないなど多くの問題がある。

・上記の諸問題を、今日の研究水準から実証面で種々の批判を行うことは容易である。しかし家永の思想史の体系を考えた時、出発点から遡って大きな体系に入っていく必要がある。

・鎌倉仏教論は近代思想史を貫通し、さらには日本思想史全体に直結する問題である。

最後に、以上のような課題と展望を挙げ、明解且つ精緻な精読が終了しました。本講座では、毎回古典から新しい論文、外国人の論文など様々な論文を精読していますが、今回の論文は古典に分類されます。菊地先生は、古典を「古いもの」として一蹴するのではなく、新たな見解や視点が生まれることを期待して批判的に読むことが大切である、とご教示くださいました。頭に「温故知新」という言葉が浮かびました。

次回は「平雅行「法然の思想構造とその歴史的位置」を読む」、12月17日開講予定です。当日のみの受講も大歓迎ですので、事前にご連絡頂ければ「事前資料の論文」をお送りします。どうぞご聴講ください。(スタッフ)