後期特別集中講座第一講

後期特別集中講座第一講
2018年11月24日 commons

去る11月24日(土)午後3時より、特別集中講座第一講として渡邊寶陽先生の「日蓮聖人の地獄観」が、多くの聴衆を集めて開講されました。講義は、今から42年前の昭和51年に発刊された論考集『地獄と人間』(朝日新聞社)に掲載されたご自身の論考「日蓮聖人の地獄観」を取り上げて、当時の社会状況などテーマの背景を説明しながら、日蓮聖人の教学にとって如何にその「地獄観」が本質的なものであったかを、二時間にわたって詳しく解き明かしてくれました。

論考「日蓮聖人の地獄観」は、朝日カルチャーセンターが昭和50年に開催した講座「地獄の思想」(全13回)での講義の速記録を加筆編集したものです。渡邊先生がこのテーマを話すことになったのは、『苦海浄土』を書いた石牟礼道子氏に刺激された丸山照雄氏から要請されたからだそうです。水俣病公害という「この世の地獄」を描いた石牟礼道子氏は、今年の2月に帰寂されています。42年ぶりにその当時の「地獄」を思い出させたこの講義は、期せずして石牟礼道子氏への追悼にもなっていたと思います。

講義では、まず地獄について明治~昭和期の真宗の学者・山辺習学氏に『地獄の話』(昭和7年刊、講談社学術文庫)があると紹介、真宗では逆に「極楽往生とは何か?」という形で大問題ともなったとの話をされました。確かに「地獄」の現実味がなくなれば、その対極の「極楽」の実在も怪しくなっていくわけです。

日本仏教における代表的な地獄の思想といえば、恵心僧都源信の『往生要集』が大きな影響を与えたとのことで、日蓮聖人も『顕謗法鈔』での地獄の描写でわかるようにこの『往生要集』を深く学びます。しかし日蓮聖人は、源信の描いた「あの世の地獄」だけでなく、『立正安国論』の冒頭にあるように「この世の地獄」を大きく問題にしたことを、渡邊先生は指摘します。日蓮聖人によれば、あの世の地獄もこの世の地獄もともに、正法を蔑ろにした謗法の罪によって実現してしまう現実なのです。

ではどのようにしてこの末法の時代に、この現世と来世との地獄をともに避けていくことができるのか。その唯一の方法として日蓮聖人が示されたのが、教主釈尊の大慈悲としての「五字七字のお題目」であり、その功徳によって私たちは「無間地獄の道をふさぎ」「三界はみな仏国なり」としていける、ということです。

そして講義の「むすび」として、渡邊先生は「要するに、『報恩抄』における無間地獄への道を塞ぐということ、それが現状の認識と重なって日蓮の宗教・教説というのは語られている」のであり、「地獄とか浄土とかいうことは、単に死後の行く末ということではなくて、結局、人間の宗教的絶対世界への安住の問題」で、「日蓮の宗教の内実的な面の基底となっていたものが日蓮の地獄観であろう」と語って講義を終えられました。

今回の講義は、日蓮聖人の教学のその核心部分に、謗法罪と分かちがたくむすびついた「日蓮聖人の地獄観」があったことを、あらためて深く認識させてくれました。その後の質疑応答も熱心に行われて、大変充実した第一回の集中講義となりました。

 

実は、今回の講義には『仏教タイムス』の記者M氏が取材に来てくれていて、12月6日号に講義の記事を載せてくれました。実に上手に講義内容をまとめて頂きましたので、以下に転載させて頂きます。『仏教タイムス』様には厚く感謝申し上げます。

(編集部)

《法華コモンズ「日蓮聖人の地獄観」渡邊寶陽氏が特別講義》

『週刊仏教タイムス』2018126日号

法華コモンズ仏教学林(布施義高学林長)は1124日、東京都新宿区の日蓮宗常圓寺祖師堂で平成30年度後期の特別集中講義を開催した。立正大学特別栄誉教授の渡邊宝陽氏が「日蓮聖人の地獄観」を講義した。伝統仏教や新宗教教団、門流を超え、学徒から指導者まで約40人が聴講した。

講題の「日蓮聖人の地獄観」について渡邊氏は、40年以上前に宗教評論家の故・丸山照雄氏が石牟礼道子氏の『苦海浄土』に刺激を受け、提案したものと説明。渡邊氏自身も研究者として幅広く関心を抱き「宗学以外にも素朴な疑問を持ってしまう」癖があったと語った。

渡邊氏は、日蓮の遺文には「地獄」という語が頻繁に出るが、地獄そのものについての記述は少ないと説明。日蓮初期の著作『顕謗法鈔』では、八大地獄に関する叙述で修行先の比叡山の高僧・源信が著した『往生要集』を要約したと見られ、日蓮の地獄への知識は、「比叡山で影響を受けたのではないか」と指摘した。

一方で、日蓮の最大の関心事は、「釈尊の本心だった」と解説。殺生を業因とする「等活地獄」について日蓮は「小虫を殺せる者も懺悔なければ必ず地獄に堕つべし」と述べており、「どんな人でも地獄に堕ちる行為をしている。それを救うためにお釈迦さまはどのような教えを残したかが重要だった」と日蓮の信仰の軌跡を辿った。

『撰時鈔』の「夫れ仏法を学せん法は必ず先ず時を習うべし」を紹介し、仏教的な面で時代性を重視していた日蓮の信仰の特色を例示、日蓮の信仰のカギとして「誹謗正法の禁止」も挙げ、「国土のあり様に誹謗正法を見た。そのために皆が地獄に堕ちる、それをどう留めるのかを考えた」と日蓮が民衆に寄り添い、仏法を探求したことを解説した。

「国全体が地獄であり、自分だけ逃れようと思っても逃れられるものではない」という認識から、「絶えず聖人の宗教的な基底になっていたのが地獄観ではなかったか」と説示。自分だけ仏にすがり救われるのではなく、『報恩鈔』に見られる“地獄の道を塞ぐ”という功徳を最も重視し、「当時の多くの人が共有した地獄観を変えようとしていた」と話した。