講座「仏教哲学再考②―『大乗起信論』を手掛かりに」第3講 講義報告

講座「仏教哲学再考②―『大乗起信論』を手掛かりに」第3講 講義報告
2023年12月6日 commons

令和5年12月6日(水)、末木文美士先生による講座「仏教哲学再考②―『大乗起信論』を手掛かりにー」第三回目が開催された。今回の講座は、『大乗起信論』の内容に触れる講義となった。

はじめに、平川彰『大乗起信論』(1973、大蔵出版・仏典講座、22頁)に記されている図表を参考に、『起信論』の組織と体系を説明された。

次に、『起信論』の立義分(主題—大乗とは何か—)で述べられる「摩訶衍(大乗)とは衆生一人一人の心である(大乗=衆生心)」について触れ、「心と世界のあり方として、「世界の一部としての心(個別)」と「世界を包みこむ心(唯心論)」があるが、『起信論』の衆生心には、その両面がみられる。それをどのように解釈すべきなのか」と問題提起をされた。

続いて、心の問題として、ご自身の論文「心という回路—仏教哲学の根幹—」(『未来哲学』64頁)を参照しながら、瞑想を通して心の究極態に至ると心もまた消えていくという玉城康四郎の心の捉え方、また『観無量寿経』で説かれる「是心作仏、是心是仏」の見仏体験、また清沢満之の精神内に充足を求める精神主義での弥陀との出会いを取り上げた。そして先生は、「心は仏と衆生を結ぶ回路ようなものであり、自らの精神内に沈潜していったとき、自己の心の最奥で他社に出会う。その最奥は決して行き止まりではない」とする見解を示され、講義終了となった。

今回の講義は、『起信論』で真如の上位概念とされる「衆生心」とはいったい何なのか、ということがテーマとなった。心にすべてが回収されてしまえば独我論に陥り、他者の存在は消えてしまう。はたして、先生が示された「心を突破する要素」が『起信論』に説かれているのか。聴講者一同、次回の講義に期待が高まった。

次回は、年明けの1月10日(水)となります。新規聴講も問題ありません。末木先生は、聴講者の質疑応答にも分かりやすく対応して下さいます。皆様の聴講申し込みをお待ちしております。なお、本講座はリモート開催となっており、講義動画も受講者に配信し、期間内であれば何度でも見ることが可能です。詳細につきましては、「法華コモンズ」ホームページからご確認ください。来年もよろしくお願いいたします。(スタッフ)