梅雨空の6月6日、第3講 中世「神話」と偽書・偽文書の講義開催。
中世神話という語彙は1970年代に提起され、1990年代末から文学研究者の間で注目された。一般的な偽書・偽文書のイメージは、作者を偽って偽作したり、実際に発給されていない文書を偽作すると考えられている。
その中で註釈として展開した偽書が大きな比重を占める。例えば『日本書紀』には本来あり得ない註釈をほどこし偽書が作られていく。この註釈と偽書は密接不可分の関係にある。それが中世の終焉と共に語りが消えていく。江戸時代になると真偽論争が始まり、偽書が排除されていく一方で、近世スタイルの語りで偽書が作られていく。
歴史の時間観念は〝昔→今〟昔から現在に一直線に流れ、不可逆的で後戻りしない。これは近代的な考え方だが、行きつ戻りつの〝螺旋的〟な時間軸もあり、または廻り循環する〝円還〟の時間軸も考えられる。
『日本書紀』は正史として編まれ、「神代巻」などに神話が含まれている。『古事記』は江戸時代に註釈が盛んになった。また『日本書紀』に拾い損ねた神話を集めた『古語拾遺』や、諸国に編纂を命じた風土記などの古典が、古代日本神話として成立した。記紀神話は皇室による国土と国民の支配の正統性を主張した政治性をもって6世紀ころ構想され、儒教・道教・仏教の影響を受け8世紀にできあがった。
その中で仏教僧が密教の本地垂迹説を援用して神々を論じ、神仏習合思想の主流として両部神道が中世神話の成立に関わっている。『神道五部書』の頃になると、仏教に対抗する為に、そこから飛躍し神道の優位性や純粋性が意識される神本仏迹説が説かれる。
「祖師」が不在な中世神道と中世神話が正統を欠くからこそ自由な創造と発展を生み出す固有のテキスト生産システムがあり、それを偽として排除するのではなく、正面から向き合い解釈していくことで中世思想の実態を知る手がかりとなる。(担当スタップ)