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2021年12月4日(土曜)午後4時30分より、令和3年度「法華仏教講座」第3回講義が宮田幸一先生を講師にお招きして行われました。今回の講座は常円寺に於ける対面と、Zoomによるオンライン動画配信の両様によるハイブリッド形式を採り、会員の方々は対面・オンラインそれぞれの方法で受講しました。

講義のテーマは「『観心本尊抄』本尊段の本尊と「本門本尊」との関係について」。日蓮聖人の御書のなかで『観心本尊抄』は「法開顕の書」と称され特に重要視されてきました。本書の本尊段に説かれる曼荼羅本尊の説相を示すとされる部分と、「本門本尊」との関係について、さまざまな資料に基づき詳細にご説明いただきました。以下、内容について要点を絞りご紹介致します。

1 本尊の仏道修行上の必要性についての疑問

まず『観心本尊抄』の注釈書として、行学院日朝『観心本尊抄私記』・『大曼荼羅の事』を挙げる。「本尊」の用語とその意義について、中国の真言僧一行『大日経義釈』の説示を引き、空海『秘蔵記』、最澄『円実義抄』をもとに解説。「曼荼羅」の用語と意義について『大日経』の説示を引いて説明している。本尊や曼荼羅における日朝独自の解釈をご紹介くださいました。

また弘安3年7月に系かる『妙一女御返事』について。中山法華経寺三世日祐『本尊聖教録』に記載される『東寺真言見聞』を参考にして、故意か錯誤かは不明だが、何者かによって御書として作成されたのではないか?と指摘。『妙一尼御返事』の成立に関する貴重な所見を提示されました。

次に『戒体即身成仏義』の智積菩薩の説示と、『御本尊集』No.9本尊に智積菩薩が勧請されている関係から、日蓮聖人の曼荼羅本尊のルーツに、法華経や天台教学のみならず、真言密教の影響があることを指摘されました。

2 『観心本尊抄』本尊段前後の文と慶林日隆の『観心本尊抄文段』の科文

続いて慶林坊日隆『観心本尊抄文段』を挙げる。「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し」の文を「正報の十界の聖衆、能生の依正総在の妙法」、「塔中の妙法蓮華経の」の文を「所生の久遠師弟の聖衆」と解釈。「能生、所生」のタームがみられる。宮田先生は、天台大師智顗は本化四菩薩を本眷属妙とするが、日隆は本因妙と規定する。日隆の上行=日蓮=本因妙とする思想が富士門流に流入し、特に大石寺九世日有以降において本因妙思想が重要視されていったのではないか、と指摘されました。

3 『観心本尊抄』での「本尊」という用語の使用例

『観心本尊抄』では題号の「観心本尊」、「本門寿量品の本尊」、「本門の本尊」、「一閻浮提第一の本尊」の用例がある。宮田先生は、このなかで「一閻浮提第一の本尊」は日蓮聖人図顕の大曼荼羅を連想させ、その本尊は地涌千界が立てる本尊である。この「一閻浮提第一の本尊」は「本門寿量品の本尊」とは違うと思う、と所見を述べられました。

4 他のテキストにおける「本門の本尊」

『報恩抄』に「日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並びに上行等の四菩薩脇士となるべし」の文を挙げ、同書には『観心本尊抄』の「塔中の妙法蓮華経」の文が欠如している、と指摘されました。

5 直弟子・孫弟子の「本門の本尊」の使用例

直弟子には「本門の本尊」の使用例はみられず、富士門流においては日尊門流を除いて造仏が禁止されたため、大曼荼羅を本尊とした。また日興は『富士一跡門徒存知事』で絵像・木像の仏・菩薩を本尊とすることを禁じているが、宮田先生は、日興が本尊についてここまでの制約をすることに疑問を呈し、この一部分は後世に付け加えられた可能性がある、と指摘されました。

6 日蓮宗『宗義大綱読本』の「本門の本尊」

「本尊の形態」に『観心本尊抄』の「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」と示される。「此の仏像」とはさきの大曼荼羅に外ならないから、文字の大曼荼羅はまた木像本尊と同一根である」とあり、此の仏像=大曼荼羅、と日隆と同様の見解を示しながら結句は木像本尊と同一根とみる。宮田先生は、「同一根」は仏教用語ではなく意味がとりづらい、苦しい会通をしていると指摘されました。

7 「小・権・迹」の釈尊と対比されない文脈における「本門の本尊」

宮田先生は、大聖人の本尊論には語られない部分が多い。観心本尊抄を好意的に末法修行論として整合的に理解しようとすると、本尊段に説かれる本尊に唱題する、という修行が勧められているということは、他の信頼できる御書に明らかである。たとえば『唱法華題目抄』、『新尼御前御返事』、『本尊問答抄』など法華経・題目を以て本尊とする法本尊を示す御書を挙げて説明くださいました。

最後に宮田先生は、本尊段の本尊を「本門の本尊」と理解する必要はない。「本門の本尊」と言う場合、文脈によって大曼荼羅(本尊段の本尊)と寿量の仏という二つの意味があり、『観心本尊抄』をどのように読むかによる。日蓮聖人滅後における仏本尊・法本尊をめぐる長年の論争の要因は、日蓮聖人が「本門の本尊」の概念について明確な説示をなされなかったためである、と述べられました。

今回宮田先生は様々な資料を繙きながら、『観心本尊抄』の本尊段と「本門の本尊」の関係について、丁寧且つ詳細にご説明くださいました。講義後の質疑応答ではスタッフを含め四人の受講者から熱心な質問がありました。宮田先生は一人一人の質問に丁寧にご回答くださいました。誠にありがとうございました。

次回の第4回法華仏教講座は、2022年1月22日(土曜)午後4時30分より、zoomによるオンライン講座を予定しております。会場、時間等の最新情報は、法華コモンズホームページよりご確認下さい。ご聴講お待ちしております。(スタッフ)

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