オンライン講座「日蓮主義をあらためて問い直す」第2回講座報告

オンライン講座「日蓮主義をあらためて問い直す」第2回講座報告
2020年8月8日 commons

2020年8月8日午後3時より、大谷栄一先生のオンライン講座「日蓮主義をあらためて問い直す」の第2回(最終回)講義が開催されました。第1回では、テキストに使った『日蓮主義とはなんだったのか』(講談社)の第四章「仏教的政教一致のプログラム」までの内容を採り上げて、詳細に日蓮主義全般についての再検討をして頂きました。最終となる第2回も16頁となるレジュメを用意されて、始めに本講義の「問題の設定」や「日蓮仏教の4類型」また「主な日蓮主義者(3世代)一覧」を確認されました。そして、テキスト本でいえば10章におよぶ内容を講義された上で、「日蓮主義の可能性と限界(試論として)」という4頁に渡る一章を設けて、実に刺激的な分析と提案をして頂きました。以下、講義の内容を簡単に報告いたします。
レジュメの【2】「日蓮主義と国体神話」では、日清戦争以後の国体神話の形成期において田中智学が、皇室を「世界統一を果たす転輪聖王の垂統であり、日本人は道義的な世界統一の使命を担う天業民族」と位置づけ、また清水梁山が天皇本尊論を主張したことを指摘されました。【3】日蓮主義ネットワークと「日蓮主義の黄金時代」では、本多日生が優れたネットワーカーとして活躍し、樗牛の名声もあって日蓮主義も広まり、出版業界でも日蓮主義関連の発刊が続くなど、その黄金時代にふれます。【4】第二世代の日蓮主義の需要では、石原莞爾、妹尾義郎、宮沢賢治、井上日召を論じます。【5】智学の日本国体論では、西山茂氏の「(日蓮主義は)所顕の日本国体(あるべき日本)と現実の日本の姿との間に、深い溝、鋭い緊張を設け、その溝を埋めるための実践を促すような仕組みになっていた」との言葉を引き、国体論的日蓮主義の特徴を述べます。【6】日蓮主義とマルクス主義では、1917年のロシア革命後のマルクス主義流行の中で、妹尾義郎が樗牛の超国家的日蓮理解に賛同して、やがて釈尊中心の「新興仏教運動」を主導したことを説明します。【7】日蓮主義とテロリズムでは、血盟団の井上日召がテロについて「折伏」に言及し、「私にとって殺人は如来の方便であると思ふ」と語ったことを紹介。そして【8】日蓮主義と超国家主義では、石原莞爾の「五五百歳二十説」と『世界最終戦論』について述べて、【9】日蓮主義の戦後では、その石原が戦後は「最終戦争の回避」を語り、妹尾が「日蓮主義は聖祖の宗教とはちがったまげられた教義となっておった事は事実だ」と語ったことを紹介されました。そして、【10】近代史において日蓮主義が果たした役割では、国家主義の三類型(世間的・超越的・出世間的)を日蓮主義が三つとも重層的に持ち得ていたこと、そのため智学の「日本による世界統一」のヴィジョン(立正安国)は、ナショナルな「在るべき日本」にとどまらず、トランスナショナルな「在るべき世界」の実現をめざしていたと指摘されました。
以上のテキスト本で述べられている内容の再検討を終えたうえで、大谷先生は【11】日蓮主義の可能性と限界(試論として)という一章を設けて、5項にわたって今後の日蓮主義の課題を挙げて、将来に向けての提案をされました。まず一番目の課題は●本化仏教の「歴史化」「脱歴史化」「再歴史化」です。これは、西山茂氏が提案して、法華コモンズのパンフでも述べている「いかに日蓮仏教を再歴史化(現代的な蘇生)するか」という課題です。近代において日蓮思想を歴史化(現代化)した日蓮主義は敗戦により否定されて、戦後は「現在」に関わることを止めて脱歴史化した。それを再歴史化しなければならない。これに関連して次の●国体のない日蓮主義は可能か?では、日蓮主義に国体思想は不可欠なのか否かを、田中香甫の「国体を前提とした国家=日本国=人倫的な共同体」という「倫理の問題としての国体観」を検討して、「国」の捉え方をあらためて問い直します。●戦後における「国立戒壇」論の行方では、戦後民主主義の中で日蓮主義の「国立戒壇」論を「脱歴史化」し、「再歴史化」しようとした創価学会を採り上げて詳しく検討。「国立戒壇」論は、政教分離を原則とする現代日本社会で継承するのは難しい、との見解を出します。しかし、●本門戒壇論は棚上げされたままなのか?では、智学の「戒壇は事檀(宗教的建築物)である」との見方を捉え直して、「戒壇は妙法センター(組織)による世界の妙法化(働き)である」とした里見岸雄の構想に着目し、こうした近現代の試みを踏まえての本門戒壇論の現代化=再歴史化を求めました。
そして、最後の●日蓮主義的アクティビズムと日蓮主義的サービスの可能性では、まず近代仏教にみえる活動形態を「社会的サービス(福祉・支援活動など)」と「政治的アクティビズム(社会・平和活動など)の二つとして、日生と智学の「四悉檀論」の中に悉檀の折伏(政治的)と悉檀の摂受(社会的)の両方があることを確認。こうした「四悉檀」にもとづく日蓮主義的な宗教活動と社会活動が、「国家社会の妙法的改造」や「世界の妙法化」につながるか否か、その可能性を提案されて、全二回の多くの示唆に満ちた画期的な講義を終了されました。
今回もまた、講談社編集者の横山建城氏が的確なコメントを述べて頂いてから質疑応答に入り、予定の時間を越えて様々な質問・意見・感想を頂きました。大谷先生には、2時間半以上にわたって充実したオンライン講義を頂きまして、あらためて御礼申し上げます。また、受講参加頂いた皆様も、質疑を盛り上げて頂きまして感謝申し上げます。
このオンライン講義は、8月末までに限定しての動画配信をしております。まだ申込を受け付けておりますので、参加できずにご興味のあるお方はぜひお申込み下さい。また今後ともコモンズ講義をどうぞ宜しくお願いいたします。(スタッフ)