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片山杜秀先生「「象徴天皇」と「人間天皇」の矛盾について」3/26 ビデオ講義配信
3月26日(木)に予定されていた連続講座「これからの天皇制」第6回となる片山杜秀先生の「「象徴天皇」と「人間天皇」の矛盾について」が、ビデオ講義配信にて実施されました。片山先生にとっても自撮りで講義を行うのは初めてとのことでしたが、音楽評論家でもあることが窺える〈CDが平積みで壁になっている!〉背景の前で、3時間15分にわたる御講義をしてくださいました。レジュメはA4で25枚もありましたが、その語り口は穏やかで明解にして分かりやすく、なお独自の観点から「象徴」を維持する「人間」天皇の奮闘を緻密に跡づけながら、驚くべき結論に導かれるという、長さを忘れる3時間15分でした。それでも用意されたレジュメ内容が膨大なため触れられなかった箇所もあり、その箇所も拾いながらレジュメに沿って、その講義内容を簡単に報告します。
講義のテーマ「「象徴天皇」と「人間天皇」の矛盾について」は、レジュメで次の5つの大見出しに分けられて論じられます。
■「人間天皇」の誕生と「神道指令」の二つのリアクション
■「象徴天皇」の誕生と「天皇機関説」
■「人間天皇」と「象徴天皇」は相矛盾するにも関わらず、持ちつ持たれつである
■「象徴天皇」+「人間天皇」の展開
■ ?
驚くべき結論の最後の■?は、受講生は分かっていますが、受講されていない方々のため最後のお楽しみとして「?」としておきます。では、各見出しにそって講義をその内容を報告します。(なお、講義内容も「ですます」体を試みます)

■「人間天皇」の誕生と「神道指令」の二つのリアクション
この二つのリアクションとは、「昭和天皇の人間宣言」と「丸山眞男の超国家主義論」です。何に対するリアクションかといえば、昭和20年12月15日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本政府に出した「神道指令」です。正確には「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」という覚書です。
この「神道指令」に反応して昭和天皇は、急いて翌年1月1日に「詔書」を出します。いわゆる天皇の「人間宣言」です。その詔書は、「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」の五箇条の御誓文で始まって明治からの民主主義を強調し、「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ~単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。~架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」と述べて現人神・天皇を否定しています。これは、「国家神道、神社神道」を「軍国主義的並ニ過激ナル国家主義的宣伝ニ利用」するために果たした現人神=天皇の責任を回避するためでした。この天皇の「人間宣言」の方が、昭和21年11月3日に公布された『日本国憲法』(第一条「象徴天皇」規程)よりも一年近くも早かったことで、そこに矛盾も生まれました。
もう一つのリアクションの丸山眞男は、「天皇の現人神性とは専制的権力者ではなく、~明治憲法の制度設計でそうなったと考え」て、神道=宗教でなく統治システムの問題とします。それが明治国家のフィクションとしての「無責任の体系」です。「国民は天皇の臣民」であり「下々は天皇を輔弼」します。「輔弼」は助けるだけで主役ではありません。しかし天皇も「皇祖皇宗」を奉る僕(しもべ)であり、最終責任者は「神話を無限にさかのぼる」ことになり、戦争に負けたら「天皇は皇祖皇宗に謝る」だけで、そこに責任主体はいません。しかし丸山は、近世の荻生徂徠の「聖人の道」に近代につながる政治主体(将軍と官吏)を見ます。その近代的思惟は天皇を祀り上げた明治憲法体制で阻まれて、無責任の成り行き任せの日本近代が敗戦を招いたとします。だから明治憲法をやめれば、天皇のいる国をやめずとも戦後の本来の近代に対応できるとして、戦後民主主義の新憲法にいたる政治思想分野での役割を果たします。

■「象徴天皇」の誕生と「天皇機関説」
『日本国憲法』は七条まで天皇条項になっていますが、第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」、そして第四条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」が重要です。この規定によって、統治権力の全くない「象徴天皇」が誕生したのですが、しかしこれは「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」を第一条とした明治憲法を解釈した「天皇機関説」と親近性があるのではないでしょうか。天皇機関説とは、「主権は国家にあり、天皇はそれを行使する国家の最高機関である」として、国家主権を行使する〈機関〉として天皇を位置づけます。同時に天皇を「輔弼」する内閣なども〈機関〉です。一君万民の天皇は、万民の意思を反映して統治するのであれば、輔弼する議会という機関に任せればいい。つまり、「天皇機関説」の天皇は「君臨すれども統治せず」で、意思は国民が作り、天皇自身は何もしない。この何もしないを強めていけば、国政に関する権能がまったくない日本国民統合の象徴としての「象徴天皇」となります。

■「人間天皇」と「象徴天皇」は相矛盾するにも関わらず、持ちつ持たれつである
「人間宣言」の詔書には、「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」るとあって、「相互の信頼と敬愛」を絶やすことのない「人間天皇」のパフォーマンスが必要です。しかし、「象徴天皇」の規定では、「定めた国事行為のみ行う」として形式的な所作のみが許されて、そこに矛盾があります。しかし、戦後憲法には殺し文句があって、「この(象徴としての)地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあって、象徴天皇という在り方は日本国民の「総意」(全ての意思)によって承認し続けられなければなりません。意思とは「思い」ですから、国民の思いを持続させるためには、「相互ノ信頼ト敬愛」を保つには、天皇の人間的パフォーマンスが不可欠です。つまり「人間天皇」と「象徴天皇」は相矛盾しながらも噛み合って歯車を回し合って、持ちつ持たれつの関係で戦後天皇制をなしてきたのです。

■「象徴天皇」+「人間天皇」の展開
その「象徴天皇」」と「人間天皇」の持ちつ持たれつの始まりが、「昭和天皇による敗戦直後の巡幸」
です。昭和29年の北海道で終わるまで、当時は米国統治だった沖縄を除く全都道府県を廻ります。平成に入って現上皇は雲仙普賢岳火砕流の災害から被災地慰問を続けます。敗戦を告げる玉音放送の一週間前の日付で行われた平成28年8月8日のお言葉では、人間天皇として全国を巡る旅(慰問など)を続けることが「象徴」としての務めを果たすことであり、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じて」の生前退位を宣べています。また平成30年の天皇誕生日や在位30年記念式典での御言葉では、災害慰問と戦争慰霊の旅に言及して、「憲法で定められた象徴として天皇像を模索する道は果てしなく遠く」と語っています。
つまり、「象徴天皇」と「人間天皇」を噛ませて「国民の総意に基く」ように展開するためには、戦後民主主義(憲法9条の平和主義)を護るパフォーマンスが必要だったのであり、その意味で平成の天皇は「敗戦からものを考える、その最後の思想家であり、政治家であった」のです。最後というのは、現在の日本においてはもう敗戦への悔恨も怨念も機能しなくなって、右翼やナショナリズムもすっかり変質して、本来なら「大嘗祭を私費ですべき」との秋篠宮発言も右翼陣営には大問題だった筈ですが、関心を呼ばずに、敗戦は遠くなっています。今後の天皇制を考えると、「象徴天皇」を徹底していくか(国民の総意が保てるか?)、新たな「人間天皇」を探求して『皇室アルバム』的な平和なマイホーム主義で行くか、の二路線しかないように見えます。
そうした現状から平成期に起きていたことを考えると、「三権分立の擁護」という明治国家に始まり戦後国家にも流れこんで今に続いている「権力集中忌避」の伝統を見直されてきたのではないか。それを「政治主導」や「決められる政治」と呼んでいるのでしょう。今回の改元騒ぎで連想させるのは、徳川家康がそれまで天皇が決めてきた「改元制定権力」を朝廷から取り上げて、元和に改元したことで。明治政府もそれを受継いで現在に至ります。しかし、今までは崩御とリンクした改元で、今回のように為政者が嬉々として「私が決めました」と言わんばかりに露出することはありえなかった。この国に第二の江戸幕府や徳川家康が現れたようで、「令和は強力な幕府的政治の時代になるのではないか」。

以上が片山先生の講義内容で、それでは最後の見出しですが、それは
■これからの日本は、天皇から将軍に戻る!です。
最後に中世的な天皇と武家の戦いで終わるのかと驚きましたが、レジュメでもその後の内容は全くなく「おわり」になっていて、その余韻の強さに驚きが二倍です。しかし、近代天皇制の流れを見据えながら、敗戦後の人間天皇と象徴天皇の矛盾の解決を「戦後民主主義の体現」に見て、その賞味期限がもう過ぎているのが今ではないかというこの講義は鋭い分析に満ちていて実に刺激的でした。連続講座「これからの天皇制」の最後を飾るに相応しい、質・量ともに充実した講義でした。片山先生には、このコロナ禍でのご多忙の中、素晴らしい御講義を頂きましてあらためて御礼申し上げます。

これで連続講座「これからの天皇制」は終了いたしますが、全6回の講義は書籍化の予定で、本年11月までには「春秋社」より発刊の編集作業が進められています。発刊しましたらお知らせいたします。
また、発刊を期してのシンポジウムを企画しておりますが、このコロナ禍のため会場等の先行きが見通せず、現在は保留となっていますが、これも決まり次第お知らせいたしますので、どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。 (スタッフ)

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