一日集中講座「鎌倉仏教と『五輪九字明秘密釈』」の報告

一日集中講座「鎌倉仏教と『五輪九字明秘密釈』」の報告
2017年11月14日 commons

去る11月14日(火)午前10時より、講師陣に廣澤隆之先生、末木文美士先生、鎌田東二先生を招いて、一日集中講座「鎌倉仏教と『五輪九字明秘密釈』」が常円寺祖師堂地階ホールにて60名近い参加者を得て開催されました。この講座の企画は、3年前の「シリーズ日蓮」における第一回講演会の討議において、末木先生が「覚鑁の思想によって鎌倉仏教の全体を捉えることが可能だ」と発言されたことに端を発します。コモンズ事務局でいつかそのテーマでの講座を開きたいと考えていたところ、廣澤先生に『秘密釈』の講義をして頂けることとなり、末木先生にも、また密教と日蓮思想に通じている鎌田先生にも講師を快諾頂き、パネルの司会はコモンズ教学委員の花野充道先生がつとめて頂くことで実現にいたりました。鎌倉仏教については、今年の6月に佐藤弘夫先生にも御講義頂きましたが、今回は浄土教中心の鎌倉新仏教観によって否定された密教思想によって鎌倉仏教全体と日蓮思想を見直す、という画期的な試みとなりました。以下にその概要を報告します。

第一講「『五輪九字明秘密釈』概説」
廣澤先生はまず『秘密釈』の全十門の構成を説明してから、第二門「正入秘密真言門」での身密・語(口)密・意密の三密瑜伽行のうち語密修行門の解字門についてふれて、その中の五輪具足即身門における陰陽五行説の導入によって五大=五智=五輪=五蔵=五行と観法されること、また九字九品往生門において九字の秘密釈とは言葉を音節に戻して1字づつの九字の真言としたこと、また金剛界と胎蔵界が一体化した秘密曼荼羅図の構造と尊格について説明された。
そして、『五輪九字明秘密釈』における一密成仏について詳しくふれて、第三門「所護功徳無比門」に「偏修偏念、智なくとも信あれば所得の功徳、顕教の無量劫を経て得る所の功徳に超過せり」とあること、また第八門「即身成仏行異門」に「余の二行及び広智なけれども、唯一義を観じ一法を解して至心修行の故に、即身成仏するが故に」とあることなど、一密成仏を可能とした箇所を提示。しかし、覚鑁は続けて「正成仏の時は必定三密相応して即身成仏するなり」「彼の二行一行等によって成仏すとは、これ正成仏の時にあらず。また余の二行を修する不思議の加持力によるが故に、忽ちに余の二密等を出生して、三密具足して即身成仏するなり」と述べていることから、一密成仏を許しているようだけれどもそれは本来ではなく、一密を修しても不思議な加持力によって他の二密を生じさせて、結局は三密具足しての即身成仏に他ならないとしている、と解説された。また覚鑁は、正像末の三時を立てての末法における特殊性(選択の優位)を否定しており、「悉地、時を選ばず。信修、これ時なり」と述べて、信修の時は常に正法時であり、時間を超えた仏との出会いが即身成仏を可能とすると考えたとした。
最後に「覚鑁は、密教と浄土教の統合(密浄融合)を理論化した?」という章題を出して、密教と浄土教の融合の歴史はふるく、源信の『往生要集』から比叡山の常行三昧堂が作られ、南都仏教や東密においても浄土教への関心は高く、初期の山越阿弥陀図にも月輪に梵字が描かれるなどしており、こうした密教と浄土教の融合の歴史的流れをどのように覚鑁の問題意識や理論化に結びつけるのか、という課題を示して講義を終了した。

第二講「『五輪九字明秘密釈』と中世仏教――五輪塔思想の形成と展開」
では、末木先生はまず「塔の原義」を確認することから講義を始めた。『ブッダ最後の旅』(岩波文庫)によれば、ブッダはその遺言において「修行者は遺骨の供養(崇拝)にかかわらずに、在家の信者に任せよ」と供養における在家主義を予告し、「修行完成者のストゥーパをつくるべき」と舎利の分配についても言及したが、やがて輪廻から解脱したブッダは永遠に実在するという舎利・仏塔信仰が生じて大乗仏教が起こってくる。その中心思想となった「仏性(buddha-dhātu、ブッダ・ダートゥ)だが、「界」や「基体」と訳されるダートゥが「遺骨」をも意味するため「仏性=仏舎利」であり、そこに生けるブッダを法身と見て「如来蔵」思想も出てくる。つまり仏塔とは、形ある身体的な死の世界(舎利)ならびに無形で精神的な永遠の世界(仏陀)を共にあらわす両義的なものとして、やがて日本においては五輪塔として墓碑化していった。
日本での五輪塔は供養墓として平安末期から多く見られるようになるが、覚鑁はこれを体系化して世界(五大)=身体(五臓)=仏(五輪・梵字)とした。そして「塔婆変じて~大日如来となる」「穢土すなわち浄刹なり」として、世界の荘厳化から死者の世界へと貫通する「密厳浄土」を実現した。また生の思想として、金胎両部一致による男女合一の思想(立川流)や五蔵(臓)曼荼羅の身体論としても展開した。こうした覚鑁の思想は、三密加持の即身成仏思想を一密成仏の道に繋げたことから、平安仏教の「綜合性」から鎌倉仏教の「選択性(宗派化)」の橋渡しを担ったといえる。
そして、鎌倉期の一密成仏(選択)を導いたのは、覚鑁の「一には上根上智は、即身成仏を期す。二には但信行浅、順次往生を期す」とした「来世往生」観や、源信作とされる『観心略要集』における現世と来世の重層化であり、往生と成仏を重ねていく「死の思想」だったとして、五輪塔とは世界の荘厳を通して死後の「即身成仏」を保証するものだったと述べた。

第三講「覚鑁の密教的五輪思想と日蓮の題目思想」
鎌田東二先生は、事前予告の「覚鑁と日蓮密教」を上記のタイトルに改め、①「言霊~真言」思想の考察、②「五臓の音符」という補助線から『五輪九字明秘密釈』を考える、③中世「天河弁財天」から覚鑁と日蓮を考える、という3つの視点を提示して講義に入った。最近に『言霊の思想』(青土社)という大著をまとめた先生は、A4判36枚になるレジュメをもとに、原初的な音と言霊の問題から始めて、古事記・万葉集からの日本の詩と言霊について、そして空海の『声字実相義』を引いて自説となる「和歌則陀羅尼」説を説明するとともに、呼吸―息―生命が結びついた宗教的言語意識の日本における展開を七段階に分けた独自の時代区分を解説。途中、法螺貝吹奏の実演も入れながら、覚鑁の『秘密釈』については「五臓の音符」から道教の導引術を参照しての考察を行い、また天河弁財天の伝承から、空海、覚鑁、日蓮のそれぞれの関わりを見ていき、最後のまとめとして「日蓮と題目と曼荼羅」に言及して、「戒体の問題」「真言と題目、また種子曼荼羅と法華曼荼羅のとの関係」「日蓮と一遍との接点」などの幾つかの課題をあげて、最後に「日蓮思想の中には、言霊~真言の思想が溶け込んでいる」として、講義を終了した。

討議 「鎌倉仏教における覚鑁と日蓮」
続いてのパネルディスカッションでは、最初に司会の花野充道先生がパネル用に準備した資料「鎌倉仏教における覚鑁と日蓮――日蓮が覚鑁の『五輪九字明秘密釈』を書写した意味を考える――」を簡単に解説しながら、中古天台本覚思想が見られる御遺文を疑義書としてきた浅井要麟先生の研究以来からの歴史を振り返り、日蓮遺文の真偽が大きな問題となっていることを説明、各先生方に「日蓮思想と密教の問題をどう考えるか」と意見を求めた。
廣澤先生は、日蓮系の御遺文真偽問題に費やす労力の大きさや、鎌倉仏教の祖師遺文を重視する傾向に違和感を覚えるとしながら、日蓮聖人が『秘密釈』を書写したことは確実であり、その意味を改めて考えたいとした。鎌田先生は、空海も日蓮も大きなメインストリームの中にいるように思うが、覚鑁と日蓮を考える場合は保元の乱(武者の世の到来)以来の時代状況を考える必要があると述べた。末木先生は、平成遺文を読んだ後に昭和定本を読むとなぜこんな重要なものが落ちているのか疑問に思う。平安期から鎌倉期における時代思潮はやはり密教であり、覚鑁は時代の橋渡し役であり、親鸞もほとんど一密成仏の密教であって現生正定聚も即身成仏ではないか、と述べた。
そして鎌田先生は、そうした一密成仏を可能にする土壌として言霊信仰以前から万物が言葉を発しているという信仰があったからと語り、廣澤先生も仏教の日本での展開を考えるには選択だけではなく民俗信仰を含めて重層的な捉え方が必要と述べたが、末木先生はその時代における思想性を日本的な思想土壌に結びつけるのは反対であり、本覚思想も密教との関連で捉えるべきと述べた。こうした先生方の噛み合った議論に引き続いて、パネルの進行は会場から提出された質問用紙にもとづいての質疑応答に移っていった。提出された全ての質問を取り上げる時間はなかったが、質疑応答も大いに盛り上がり、大変充実した論議でパネルを終了することができた。

以上、今回の集中講義は宗派や宗旨の枠を越えての試みとして法華コモンズらしい画期的な講座となりました。ご出講いただいた先生方にはあらためて篤く感謝申し上げます。また、受講いただいた皆さんも長時間にわたり熱心に聴講いただき感謝いたします。また、法華コモンズとしては有意義な講座を企画して行きますので、今後ともどうぞよろしくお願い申しあげます。                          (編集部)