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令和7年5月20日(火)18時30分~、菊地大樹先生による2025年度前期【歴史から考える日本仏教⑫】〈中世社会と寺社の諸相〉の第2講「中世寺社の強訴 ―本末関係と権門寺社の相克―」がオンライン配信により執り行われた。
今回、菊地先生は、以下の項目に沿って講義を進められた。
1、 権門寺院による末寺編成
2、白山の成立と展開
3、本末関係と地方・中央権力
4、中世寺社としての石清水八幡宮
1では、中央の権門寺院が周辺地域の寺社を末寺化していく様相と、その重曹的な末寺関係の広がりについて細説して下さった。
2では、白山の起源や組織化、発展の様相、
院権力の関与について論じられた。
3では、中央権力の介入、白山強訴の発端や延暦寺強訴、強訴の顛末と意義について細かく論じて下さった。
4では、石清水八幡宮の組織や祭祀と石清水八幡宮領、興福寺との相論ー権門寺社の衝突ー、嘉禎年間の相論について詳論された。
以上から、菊池先生は、以下のように今回の講義をまとめられた。
•権門寺社内部、あるいは寺院権門は実態として一枚岩ではなく、これらはいずれもバーチャルな 概念に過ぎない。
•これらが内部に矛盾や緊張関係を孕んでいたことは黒田俊雄も認めていたところであり、その利害調整にあ たり、天皇が果たした役割をどう評価するかは、現在も結論が出ている訳ではない 。→ 摂政以下、みずからも権門の長として権門寺社を氏寺・氏社に抱えているような複雑な関係の中 で、その都度試みられた政治的調整を、はたして権門体制や顕密体制として一般化できるのかが問われる。
•中世における都鄙関係の再評価がなされねばならない。
•近年、いわゆる「立荘論」の立場から荘園制の再検討が進み、地方の自立と中央への一方的な寄 進により中世荘園制が成立・展開している訳ではないことが明らかになった(第 1 講 )。
•中世成立期の寺社本末関係は、本寺が末寺に所領・所職の支配権を及ぼしているように荘園制に乗る形で形成されている。
•地方寺社の末寺化にもまた、院や摂関などの中央権力の働きかけがあり、幕府も紛争に介入したが、荘園現地や地域寺社間の紛争を有利に進めるため、在地の側から中央に働きかけた一面もあ り、一概に「上からの/下からの」編成とは評価できない。
ー等である。
全体を通して、具体的事例を種々掲げながら、黒田俊雄の顕密体制論の問題点・矛盾点を指摘されたことが非常に印象的であった。
菊地先生は、講義終了後も聴講者からの質問に丁寧に答えてくださり、その中でも博学にして鋭い知見を開示いただき、午後9時までお付き合い頂ける形となった。受講者にとって、大変幸せな2時間30分であった。(スタッフ)

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