集中講義「史実・尼僧畜髪縁付―ブッダ時代から現代まで—」第2回講座報告

集中講義「史実・尼僧畜髪縁付―ブッダ時代から現代まで—」第2回講座報告
2023年11月18日 commons

去る11月18日(土)午後1時半より、大竹晋先生の集中講義「史実・尼僧畜髪縁付―ブッダ時代から現代まで—」第2回講義が四時間に渉り開催されました。以下、実に刺激的な講義内容を報告します。
第二回「日本篇Ⅱ:昭和戦前戦中期 Ⅲ:戦後期」
尼僧蓄髪は、昭和戦前期に入り諸宗で広まっていきます。浄土真宗では、男僧が住職でその妻が坊守でしたが、幾つかの派で女性の得度と住職を公認して、有髪尼僧の住職が誕生します。日蓮宗では、昭和八年の宗会に「有髪尼僧制度」が建議されるも、撤回されています。また、同年には「児童虐待防止法」が施工されて、児童のうちからの尼僧剃髪は児童虐待ではないかとの議論も起こりました。
昭和十二年に日中戦争が起こると青年男僧が出征して減少、昭和十六年の太平洋戦争に入ると中年男僧も出征したため、諸宗当局は戦時下の法務の担い手として寺族女性を有髪のまま得度させることに決定し、有髪尼僧が誕生する。戦争により寺族女性の地位は向上して、戦後の寺族公認に至り、尼僧の地位は向上せずとも団結を教化して、戦後には諸宗尼僧法団や全日本仏教尼僧法団などが設立されます。
戦後においては、諸宗で戦死住職の未亡人が有髪尼僧となって増加します。有髪の尼僧を認める動きは、真宗大谷派、浄土宗など活発で、真言宗醍醐派は傘下の真如苑主・伊藤友司に、最高の大僧正位を有髪の婦人として初めて授けます。しかし、曹洞宗では有髪で僧堂に入った寺族姉妹をめぐって、有髪・剃髪の議論が激化します。
昭和四十五年頃より、尼僧側から蓄髪縁付公認の声が上がり、尼僧(独身)と女僧(婚姻)を区別する傾向も生まれて、「主婦僧(夫の代役)」という言葉も使われました。そして平成・令和に至ると、尼僧蓄髪の公認化は加速して、男僧住職の娘が尼僧となって世襲したり、後に縁づくことも多くなります。
こうした尼僧蓄髪縁付をめぐる歴史を通覧して、大竹先生は「尼僧蓄髪縁付とは何だったのか」を問い直します。そして、ブッダは蓄髪縁付を否定しているので、これは仏教からではなく社会的な要因に基づくとして、時代ごとの要因を挙げました。大正時代には、社会活動を容易にするため。昭和初期は、死亡男僧の妻を住職にするため。戦時と戦後すぐは出征し死亡した男僧の妻を住職代理とするため。その後は聖俗の区別をつけるため、また男僧の娘に住職を世襲させるため、などとなります。
そして宗派としての対応として、尼僧蓄髪縁付の道を突っ走っているのは真言宗系の諸宗、次に続くのが天台真盛宗、そして足が重くなりつつある日蓮宗と曹洞宗がいて、あとの宗派はあえて進めていない状態だと分析しています。また、近年の傾向として、寺住職は子供に世襲させる家業であり、「家を出ないための出家」という矛盾したあり方を指摘して、世襲を重ねた結果に僧侶が仏教に無関心になり、蓄髪世襲縁付が自然と感じられるようになったのではと示唆します。このことが、僧侶に対する俗人の聖者崇拝を失わせ宗門の将来を危うくする可能性があるとして、剃髪非婚尼僧の必要を提案しました。そして、今後は「史実・近現代尼僧」「史実・寺族形成」の検証にも取り組みたいとの抱負を話されて、二回にわたる画期的な集中講義を終了しました。(スタッフ)