講座「仏教哲学再考―『八宗綱要』を手掛かりに」第2講 講義報告

講座「仏教哲学再考―『八宗綱要』を手掛かりに」第2講 講義報告
2020年12月5日 commons

去る12月5日(土)午後4時半より、末木文美士先生による「仏教哲学再考―『八宗綱要』を手掛かりに」第二回講義がオンラインにより開催されました。いよいよテキストの『八宗綱要』の本文に入り、第一章「倶舎宗」を読んでいきます。倶舎宗は、世親が作った『倶舎論』に依っており、この正式名は『アビダルマ・コーシャ』の音写訳『阿毘達磨倶舎論』です。阿毘が「対」、達磨が「法」、倶舎が「蔵」を意味して、漢訳では「対法蔵論」となります。講義では、レジュメに下記の7項目を立てて、ご説明頂きました。

1、『倶舎論』の概要

2、原始仏教からアビダルマへ

3、『倶舎論』の体系と意図

4、三世実有説

5、業と輪廻

6、断惑証理

7、アビダルマの意味

 

以下に講義の概容をご報告します。

まず「原始仏教からアビダルマ」です。原始仏教の大原則である「無常⇒無我⇒苦」から、縁起という関係性を重視した諸行無常・諸法無我・涅槃寂静(・五蘊盛苦)という「三法印(四法印)」が整えられ、やがて部派分裂によって有部や経量部など諸論が出る中で、アビダルマ(法に対しての研究=対法)教学が登場します。それが『倶舎論』としてまとめられて、仏教全体の体系としての「五位七十五法」というカテゴリーが提示されます。この五位とは、色法から、心法、心所有法、不相応法、そして無為法にいたる「有漏から無漏」への流れです。七十五法はそこに含まれる諸法ですが、その法体は常に実有とされます。『倶舎論』は、カテゴリー論を採って実有説を中心にしたところがプラトンのイデア論的であり、西洋的存在論はむしろ個別的要素を重視したアリストテレス哲学が中心とされてきたので、これを比較して「心的現象の問題」なども考えられるのでは、とのことです。

『倶舎論』の根本学説は、「三世実有法体恒有」といわれます。われわれが現象を認知するのは、未来の現象(ダルマ)が現在に生じて過去に落謝していく、この一瞬の現在において知るだけだが、しかしそのダルマ(法体)は常に有る、という説です。これには四説があって、法救尊者は「類の不同により三世の異なりあり」といい、妙音尊者は「相の不同により」、世友尊者は「位の不同により」、覚天尊者は「待の不同により」、それぞれ三世の異なりあり、と書かれています。この過現未の三世の異なりを論ずるこの仏教の時間論ですが、末木先生は物理的な時間では捉えられない「内的な時間」「輪廻の時間」「浄土の時間」などを解き明かす鍵となるのではないか、と述べられました。

そして「業と輪廻」では、因果(縁起)の有り方、そして依報(器世間)と正報(衆生世間)による見方(世界の構造)を確認した後に、「三世両重の縁起(因果)」とその意味を考えていきます。三世両重の縁起とは、過去現在未来の三世の時間に十二縁起の業と輪廻を割り振ったもので、無明から受(苦)までを胎児の状態と見ることで人間の一生とする視点を可能にしています。そのために三世両重の縁起は、現世的秩序を越えた「輪廻」を修行過程として捉えることで、本覚思想的な密教において胎児が胎内で修行して誕生時には修業が完成(成仏)した形で生まれて来るという、生の讃歌(原始仏教では生は苦だった)にいたる教義ともなった、と指摘されました。

講義は最後に「アビダルマの意味」を問い直し、一つには分析的・理論的な基礎学としてのアビダルマだが、それを否定した大乗仏教における矛盾の論理が、倫理や秩序崩壊期には嫌われて、普寂など近世における阿含復興を生んだのではないか。またアビダルマの再発見として、三世論が近代での現世主義を転換して霊魂論争を生み、また三千世界論が大乗の多世界論や現代宇宙論と関連していることを指摘。そして基礎学としてのアビダルマが言及した「モノとはなにか」「存在とは何か」というテーマを、他のギリシャ、西洋中世、イスラームの哲学と比較することで見えて来るものがあるのではないか、と述べられて講義を終了しました。

次回の講義ですが、「成実宗」は論ずるところが少ないので自習として、「律宗」から始めるとのことです。なお受講に際しては、事前に『八宗綱要』の講義の章を読んでおくことをお勧めします。次の第三回は新年1月3日に、オンライン実況で講義をお届けします。日時の都合が悪い方でも、講義後に「動画配信」で受講できますので、ぜひ受講をお申込みください。  (スタッフ)