講座「『法華経』『法華文句』講義」第32回講座報告

講座「『法華経』『法華文句』講義」第32回講座報告
2021年1月25日 commons

2021年1月25日(月)オンライン実況講座による『法華経』『法華文句』講義が行われました。

今回から、別序の答問序(文殊菩薩の答え)についての講義でした。(350P 4行目~)
この答問序は、弥勒菩薩の発問(此土六瑞を問う・他土六瑞を問う)に対する答えとなっています。
答問序の長行は、大きく4段に分けることができます。
「語弥勒」以下は惟忖(推量する)する答えであり、
「善男子我於過去」以下は、文殊菩薩がこの瑞をかつて見たという答えであり、
「諸善男子如過去」以下はかつて見たことを詳しく述べ、
「今見此瑞与本無異」以下は、分明に判じている箇所となります。
文殊菩薩は仏よりも位が低いので、仏のことを推量してもはっきりとはわからず、
昔と今とは等しいと思うが、いきなり断定することはできなく躊躇があるため、
はじめは、ほのかに見ることに随い、次に簡略にみることを引用し、さらに広く見るのであると解釈します。
次いで、4段それぞれを詳しく解釈していきます。

「惟忖」とは、今も昔のようでなると惟い、昔も今のようであると忖ることであり、
文殊は古仏(龍種上如来)であるから知らないはずはないが、あえて思惟を示しているのであるとします。
そして、光沢寺・法雲が『法華義記』において、初後の両句は法説であり、中間の三句は譬説であるとし、
また、「欲説大法」は略開三顕一、略開近顕遠であり、「演大法義」は、広開三顕一、広開近顕遠である。
「雨大法雨」は記を得て作仏することを譬え、「吹蠡」は三乗の号を改めることであるとし、
厳鼓して兵を誡めるのは、無明を破することであると解釈していることを引用しています。
この法雲の説に対し、『法華文句』では、「初後の両句は法説である」という説を否定します。
その理由として、迹・本の両門はそれぞれきっかけとなることが異なり、序品の段階では本門のきっかけは
まだ起こっていないので、弥勒は何に対して疑い、文殊は何について解釈するのか明らかでない。
もし、ここで開近顕遠の疑いについて釈しているのであれば、涌出品で地涌の菩薩が涌現したことについて
さらに疑うというのはおかしい、故にこの説は用いないとしています。
そして『法華文句』では、文殊の答えは、弥勒の此土六瑞と他土六瑞についての問いに対して答えたのであって、
寿量品に説かれていることについては関わっていないのである。
天台大師の解釈によれば、「欲説大法」とは説法瑞に対する答えであり、「大法雨」は雨花瑞についての答えである。
「吹大法蠡」は、大衆の心喜瑞についての答えであり、「撃大法鼓」は地動瑞にちいての答え、
「演大法義」は法光瑞についての答えであると解釈します。
そして、さらに「欲説大法」「雨大法雨」「吹大法蠡」「撃大法鼓」「演大法義」の五句について詳しく解釈をしています。

「我於過去」以下は、文殊がかつて見たことを引用した内容であるから、自身の智によって惟忖したことよりも、分明であるとします。
「如過去」以下は、広くかつて見るを引用して答えている箇所である。弥勒は法光によって横に東方世界を見て問いをなし、
文殊は昔を引いて縦にみて答えたのである。その内容は、日月灯明仏について最初の一仏が同じであることを説き、
次に二万仏も同じであることを説き、そして最後の一仏も同じであることを説いています。
この最初の一仏について、まず時節を明かし、次に名を明かし、そして説法について明かしています。
「演説法」以下には、昔仏も今仏も初めに頓教を説き、後に漸教を説くことを明かしています。(358P 8行目まで)

また、緊急事態宣言の延長が決まりましたので、2/22の菅野先生講義もオンライン実況講座となり、下記の通り開催いたします。

●【オンライン講義】「『法華経』『法華文句』講義」
2月22日(月)午後6時半~8時半 菅野博史先生

受講者の皆さまは、2/22(月)午後6時30分の開催日時になりましたら、
事前に送られる「Zoom入室URL」をクリック、パスワードを入れてご聴講ください。
なお、対面講義でもオンライン実況講義でも、受講者には、講義の終了後に「講義の動画配信」を行っています。
会場に来れない方や日程が合わない方も、動画により受講することができます。ブログよりお申込みください。(スタッフ)