11月17日(月)午後6時半より、菅野博史先生「『法華経』『法華文句』講義」(通算90回目)が開講されました。
今回の講義範囲は、テキスト『法華文句(Ⅲ)』の806頁1行目「密雲の下は~」から、814頁12行目の「縁に随いて同じからざるのみ。」までです。経文の範囲ですが、「密雲は弥く布き、遍く三千大千世界を覆い~」から、「彼の大雲の一切の卉木・叢林、及び諸の薬草に雨るに」の前までになります。
今回の経文の概要ですが、「一つの分厚い雲(密雲)が世界をおおい雨をふらせると、すべての大中小の草木は潤うが、草木はそれぞれの差や別にしたがって成長していく。仏の教えもまた同様に、仏は大きな雲が起こるように人々をつつみ、「われは仏・世尊なり。全ての人々を悟らせるためにいま法を説く。皆、法を聴くべし」と雨を降らすように語り掛けて、衆生の機根の違いに合せて、その堪えるところに随って無数の説法をおこなう。それを聴いた衆生は歓喜して、現世は安穏に後生は善き所にいける思いを得て、それぞれの力に合せて修行の道に入ることができた」です。
『文句』の随文釈義では、「密雲」は身口意の三密で、経文の「慈悲」は意密、「形(形色)」は身密、「雷声」は口密になります。広く行き渡る雲は、仏の慈悲の浸透を譬えていますが、その潤いを受ける草木が「分斉にしたがって」成長するように、降る雨のように平等で一つの仏の慈悲も、聴聞する人々の分斉にしたがってさまざまに理解されるということです。教えは一つで平等でありながら、聞く人の段階で差別が生じてくるわけですが、しかし仏はそれぞれ聞く人の分斉に合せて無数の「方便」をもって説いてくれるので、その差別はそれぞれの成長に見合った「違い」ということかもしれません。
今回は、『法華経』のキャッチフレーズともいうべき「現世安穏・後生善処」という経文が出てきました。わたしはこの言葉に輪廻転生のリアルを強く感じて、御首題帳によく書くのですが、『文句』では幾つもの違った解釈を呈示しています。まず「現世安穏」は花や果実の成長のことで、「後生善処」はその成長の様相だとします。また、場所を三途(地獄・餓鬼・畜生)として、地獄で火が消え熱湯が冷えれば「現世安穏」、畜生が天・人に生ずれば「後生善処」です。同じように人天の場合、二乗の場合、菩薩の場合と続き、今回の経文の最後となる「諸の障礙を離れ、諸法の中に於いて、力の能うる所に任せて漸く道に入ることを得る」を釈して、諸の障礙を離れるのが「現世安穏」、道に入ることを得るのが「後生善処」だとしています。
次回は12月15日で、本年最後の講義となりますね。始めにふれましたが、テキスト『文句(Ⅲ)』814頁13行目からです。随文釈義の面白さが味わえる講義ですので、初めての方もぜひご受講下さい。(担当スタッフ)

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