常円寺祖師堂地階ホールにて10月27日(月)午後6時半より、後期の初回となる菅野博史先生「『法華経』『法華文句』講義」(通算89回目)が開講されました。
テキスト『法華文句(Ⅲ)』は、「薬草喩品を釈す」の798頁の初めの「「其所説法」より下は、教に約して其の顕実を述するなり」から始まります。そして今回解釈する経文は「其所説法」から「名色各異」までですが、短いので全文を引いておきます。
「其の説きたまう所の法は、皆悉一切智地に到る。如来は一切諸法の帰趣する所を観知し、亦一切衆生の深心に行ずる所を知り、通達無礙なり。又諸法に於いて、究尽明了して、諸の衆生に一切の智慧を示す。迦葉よ。譬えば三千大千世界の山川・谿谷・土地に生ずる所の卉木・叢林、及び諸の薬草の如し。種類は若干にして、名色は各異なり。」
『文句』はこれを解釈して、まず「一切智地」は円教の実説であり、如来の説くすべてはこの智慧の基盤(智地)に衆生を到達させることにあるといいます。そして、権実の二智をもって衆生の病(衆生の深心に行ずる所)とその薬(諸法の帰趣する所)を知って、自在に導くのですが、権智は一つの病に効く一つの薬ですが、実智は一智のみで一切の病を治す一切の薬となります。しかし、権実の二智は究極的には互いに融通しているので、これを「通達無礙」といいます。このことは、地には差別なく三草二木には少し差別があるが、智地に到れば差別なく、差別ながら無差別という空と仮のこともあらわします。そして「譬えば三千世界~」よりは、六文という差別譬で「土地・卉木・密雲・注雨・受潤・増長」の六つで解釈されます。そして「生ずる所の卉木」よりは所生卉木譬になります。病を治療する力のある草木を「薬」と呼ぶのですが、その種類にそれぞれ呼び名があるのは「名」であり、それぞれ様相が異なるのは「色」にほかならない、と解釈します。
講義は、以上の『文句』の経文解釈を詳しく説明されて、『文句(Ⅲ)』の805頁までを終えて時間となりました。今回も、短い御経文の中に論ずれば長くなる教学的概念を読み取る「随文釈義」の読解力の強度に驚嘆する講義となりました。
次回の11月17日講義はテキスト『文句(Ⅲ)』806頁の「「密雲」の下は、第三に密雲譬なり」からです。初めての方も随文釈義の面白さが味わえる講義ですので、ぜひご受講下さい。(担当スタッフ)