去る5月26日(月)午後6時半より菅野博史先生「『法華経』『法華文句』講義」前期2回目が、常円寺祖師堂地階ホールにて開催されました。
今回の経文の概略です。長者から名を与えられ厚遇された窮子は、しかし自ら賤しい者と思って便所掃除を二十年の間勤める。死期を察した長者は、次の仕事として莫大な宝の藏の管理を窮子に任せる。窮子は藏の宝を全て領知して管理するも、自らは貧しいまま過ごす。しかし窮子の心の成長を確認した長者は、全財産の子への相続を告げるために、臨終の間際に親族・国王等を呼び集めた、というところまでです。テキストの『文句(Ⅲ)』では、761頁6行目の「「即時長者更与作字名之為児」とは八正を得て見道の中に入り~」からの解釈となります。
信解品の「長者窮子の譬え」は、釈尊一代の教導を小乗から大乗へいたる階梯として示した「教相判釈」の元型になっていますが、今回の講義でも、窮子が劣った小乗の位から徐々に後継ぎに相応しい大乗の位へと向上していく有様が説明されました。特に印象的だったのは、「二乗の位に住して大乗経を転ぜば」(『文句Ⅲ』P762後3行目)という箇所の解釈で、窮子が大乗という宝蔵の管理を任され、大乗の教えを説くことができるにも拘わらず、なお自らを貧者として二乗の位に留まっていた姿です。これに関連する「小志を捨てず、大機は発せざるに由る」(P762、6行)の「小志」は、「ヒーナ(劣った)アディムクティ(信解)」の訳語で、小乗の位を示していますが、窮子のアディムクティ(信解、信順)が、小から大に至るまで一貫していることも説いていると思います。
また誘引譬として、「斉教領(声聞が教えを受ける自らの分斉(分際)に限定して領解すること)」と「探領(仏意を探って領解すること)」が説明された次に、窮子の成長に合せて釈尊一代の教導を示す「五味」の教判が論じられます。以下に要約しておきます。
【乳味】窮子が迷悶して倒れる(見父恐怖)⇒『華厳経』を理解する機根が無い初心(乳味)を示す。
【酪味】二人を遣わして除糞の法を説く(見使親近)⇒『阿含経』により凡をあらため聖を説く=乳を転じて酪と為す。
【生蘇味】父子が互いに相知り、一日の価(小乗の涅槃)を得て満足して心が成熟する(父子相知)⇒酪味から生蘇味を出だすように、修多羅より『方等経』を出だす。
【熟蘇味】父、窮子の心がわだかまりなく漸く大志を抱くを知る(出入宝蔵)⇒生蘇味から熟蘇味を出だすように、『方等経』より『摩訶般若経』を出だす。
【醍醐味】父は、子が熟知する一切の財物を子に相続する(父子名乗)⇒三乗を一乗として記別を与え、『法華経』を説いて仏知見を開き、『摩訶般若経』より大涅槃を出だす。
以上で、講義は『文句Ⅲ』のP767の2行目「大小出入すれども、疑難なきなり」迄で終わり、次回の6/30(月)講義は科文で「猶お本位に居す」、「第二に「然其所止猶在本処」とは~」から始まります。初めての方もついて行けますので、ぜひご受講下さい。(担当スタッフ)