去る11月25日(月)午後6時半より、本年度の後期第2回目(通算78回)となる菅野博史先生の「『法華経』『法華文句』講義」が開催されました。
今回のテキストの始まりは、726頁1行目の「「捨父逃逝」とは、退大を「捨」と為し、無明の自ら覆うを「逃」と曰い、生死に趣向するを「逝」と為す」からです。【経文】は、前回と同じく「譬えば人あって、年既に幼稚にして、父を捨てて逃逝し、久しく他国に住して~」からで、【科文】では、「捨父逃逝を釈す」からになります。
今回はテキストの随文釈義(経文の解釈)が中心で、窮子が父を捨てて他国に遍歴した後に、偶然に本国の父の屋敷に行きつくと、その屋敷は大いに富んで、財宝も人々も動物も溢れていたというところまで、詳しくその教義的意味を解釈していきます。その中でも、特に興味深いのは、「象・馬・車乗・牛・羊は無数なり」という一節の解釈です。
科文では「象馬牛羊無数を釈す」と題していますが、『文句』での解釈ではこの動物達を、悟りへの観法にあてて解釈します。
- 一心三観は「象」のようなもので円教の大乗を運ぶ。
- 次第三観は「馬」のようなもので別教の大乗を運ぶ。
- 即空・析空の観は「牛」のようなもので通教などの大乗を運ぶ。
- 析法観(蔵教)の自行は「鹿羊等」のようなもので二乗の法を運ぶ。
そして「無数」の意味を、権実の諸法を「車乗」と名づけ、権実の智による観を「象馬牛羊」と名づけることと解釈します。またこうした無数の教法だけではなく、観智(観察する主体としての智慧)も同様に無数である、としています。
次回の講義はこの続きで、『法華文句Ⅲ』の730頁の12行目「「出入」とは、二にして而も不二なるは是れ「入」、不二にして而も二なるは是れ「出」なり」からです。
次回の後期の第3回(通算79回)講義は、12月16日に開講です。ぜひ受講お申し込みいただき、『法華文句』の随文釈義の面白さを体験して下さい。(担当スタッフ)