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『法華文句』講義 10月23日(月) テキスト『法華文句』(Ⅱ)650頁8L~

吉蔵は『法華経』の注釈『法華玄論』を著す。『法華文句』は天台大師智顗がどこまで講義したのか決着が付いていない。ほとんどは智顗の弟子灌頂が整理したのではないかといわれている。その時に『法華玄論』などを参照してた。
「私に総別を以て之を駁す」は、灌頂が個人的に反駁するの意。索(しゃく)とは、羊車・鹿車・午車の三車を求めること。心の中に求めるを求索、口に出して求めることを請索、行動で示すことを乞索という。身口意三業に対応。
修行しているから索めるのであって、まだ究極に達していないので、索めないという事はない。索めるので車を与えることを許された、ので歓喜する(三周の三義)。
吉蔵は大乗をすべて平等に見る。天台は法華経以前の大乗と法華経を区別する立場。吉蔵は大乗は方便ではく、真実なので索めない。653頁6行目~其の7では、寿量品の六或示現で方便であることを示しているので、索めるのである等と灌頂が個別に十難を設けた。
『法華玄論』で吉蔵が法雲の十の批判をしている。652~654頁の十難は、灌頂が吉蔵の十の批判を引用。灌頂が『法華文句』をまとめるにあたって、吉蔵の『法華玄論』を参照したという事の証となっている。657頁4行目で終了。(スタッフ)

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