令和5年9月30日(土)午後4時30分~、新宿・常圓寺祖師堂地階ホールを対面講義の会場とし、法仏教研究会主宰・当学林教学委員の花野充道先生による「智顗教学と日蓮教学の仏身論の対比」の講義が、Zoomオンライン聴講もできるハイブリッド型の講義として執り行われた。
先生は、智顗教学と日蓮教学の根本的な相違を、実相論・仏身論、更には成仏論、本迹論などの視点から多角的に比較検討された。
講義では先ず、智顗教学が【〈本有常住の理法を基調とする、法先仏後の多仏信仰〉〈本迹実相同〉〈寿量本仏も久遠の始覚仏〉〈本迹の仏身は倶体倶用・本迹不思議一〉】、対し、日蓮教学が【〈本迹の仏身に勝劣を立てる〉〈寿量本仏=無始の古仏〉〈本迹実相勝劣〉】とすることを微細に解説された。その上で、日蓮の寿量本仏観には、種々の考証の視点があることを指摘され、本仏の有始(始覚)・無始(本覚)に関する問題、報応二身の顕本や三身常住、無作三身──等に関する問題を掘り下げて論じてくださった。
論中、特に「本門の教主釈尊と末法の導師日蓮との関係」を視点として、日蓮教学史に存在する三種(以下A~C)の一仏化導論を指摘されたことは、大変興味深かった。
(A)久遠に実相=法身を証得した師匠の釈尊=報身が、弟子の上行菩薩に妙法を付嘱して末法の衆生の救済に当たらせる。
(B)久遠五百塵点に実相を証得した釈尊が、弟子の上行菩薩に下種の妙法を付嘱して末法の衆生の救済に当たらせる(一仏二名、その変形としての互為主伴説)
(C)久遠元初成道の仏が、末法の日本にそのまま日蓮として現われ下種の化導をなす(日蓮本仏論)。
以上を踏まえ、花野先生は、日蓮の立場を「理智不二の仏身─法仏一体(人法一箇)」「観心の本尊=本門の本尊─大曼荼羅=本門の釈尊─一念三千即自受用身」とする見解を述べられた。
また、講義終盤には、『立正観抄』の真偽論争や、「思想史学と宗学の同異」についても論じられた。
先生の長年の研鑽に基づく深い洞察に、聴講者一同から大きな拍手が送られた。(スタッフ)