講座「震災転移論-末法の世に菩薩が来りて、衆生を救う?」第5回講座報告

講座「震災転移論-末法の世に菩薩が来りて、衆生を救う?」第5回講座報告
2023年2月20日 commons

第五回目となる「震災転移論―末法の世に菩薩が来りて衆生を救う?」が、二月二十日に開催されました。今回は「福島県双葉郡—戦後民主主義の行方」と題して、これまで講義してきた傾聴論、差別論、死者論、転移論をふまえ、大津波と原発事故での心の断裂がいまだ癒されないフクシマを訪れ、理解しえないものや翻訳不可能なものを理解し翻訳する事とは何か、われわれの救いとは何かを学んでいきました。
ジョンレノンの革命歌「Power to the people(人々に力を)」で始まった講義では、まず福島で役人たちが白地と呼ぶ「帰還不可能地域」である「白い土地」について触れて、地図から消される町に住んでいた人々の「故郷喪失」という現状を紹介していきます。途中で挟まれる沢田研二の歌う「一握り人の罪」は、原発事故をストレートに糾弾して衝撃的です。沢田は、この悲惨をもたらしたのは一握りの東電の人だと歌っているように思えますが、しかし磯前先生は、受け入れた地元もその電力を使った東京もその罪はすべての者たちにある、と歌っているのだといいます。また、ドイツ映画『福島からこんにちは』が紹介されて、津波で多くの人々が死んだ帰還困難地域に戻り住んだ老女と傷心のドイツ女性が、幽霊と出会いながら二人が寄り添うことで心の傷を快復していく話を詳しくふれました。「わかりあえないことがあるから分かり合える」という、転移と逆転移の関係による癒しです。
そこで磯前先生は、私たちがこのような被災地の人々の心の痛みを感知できるかどうかが、自己の欲望を無自覚に肯定してきた戦後民主主義の行方を変えていく重要な契機になると指摘します。そして来るべき民主主義の方向として、自分の欲望を捉え返して「凡庸な悪人」性を自覚すると共に、社会的存在として純粋ではありえない自己の悪人性を前提にした社会編成を考えていくことを提案して、親鸞の「悪人正因説」を掲げられました。つまり、人間という、傷つきやすく傷つけやすい存在同士が、いかに差別を無くして自由や公平性を達成していくことが出来るのか、それが問われているということです。
今回最も印象に残ったのは、この癒しとも関連しますが、集団の中での独りのあり方として、「孤独(solitude)」と「孤立(loneliness、isolation)」の二つがあるということです。孤立はloneliness(寂しさ)でありisolatio(隔離)での独りですが、孤独はsole(ただ一つ)を語源とするsolitude(独りの状態)です。個人を成立させるには、このsolitudeの孤独が必要不可欠です。この孤独の重要性は、被災死者が眠る海で何度も「死者と共に泳ぎながらも戻ってくる」という例え話にも示されます。死者という他者に同化し過ぎてしまうと、死者に引き込まれ、排除もされるでしょう。死者と共に泳ぎながらの別れて帰ることができるのは、その者が孤独だからです。講義の最後を飾る曲に、磯前先生がXJapanの「Without You」を選んだのも、hideの追悼というライブ映像が、死者と共に生きるとともに残された者たちが孤独の中で自立していくという、感動的な姿を見せていたからではないかと思います。あらためて私たち生者は、死者により動かされ生かされているのだと再認識しました。
次回の3月13日(月)は、いよいよ最終回となります。「想いをかたちにして伝える おいわき——人間の主体化論」をテーマに、末法の衆生つまり私たちを救う菩薩の道について、ご講義と質疑と論議を行ってまいります。ぜひ、ご受講の程お願い申し上げます。
(担当スタッフ)