新年に入っての第四回目「震災転移論—末法の世に菩薩が来りて衆生を救う?」のオンライン講義は、一月十六日に「感染 東京 —青髭と秘密の小部屋」の題名で開催されました。前奏曲は、中島みゆきの「鳥になって」。死者を悼むということ、「悲哀を噛みしめる」こととは何かが、今回の焦点となりました。
第一章「靖国神社の英霊(遊就館)」では、遊就館に納められた戦争花嫁人形と、独身の死者を供養する東北のムカサリ絵馬を紹介。また戦前の靖国での「招魂の儀」とは、死者が英霊となることで、悲しみを正反対の喜びに転化させるという「靖国の論理」であったと指摘されました。そして第二章「悲哀を噛みしめる」では、戦没画学生の絵が常設されている「無言館」を紹介し、そこで感じる死者に決してとどかない翻訳不能の悲しみを、靖国の論理と対比させました。また、自分の思いは決して死者には届かないのだという悲哀を噛みしめる行為が、断念と受容の心境に至っていく「喪の実践」であることを示されました。
そして第三章「青髭の秘密の小部屋」では、青髭の秘密部屋も、障子に隠れる夕鶴も、自分の建前で隠した「心の本音の闇」である、と指摘します。北山修は、その闇は「幼い頃に書かれた心の台本」なのだとして、四段階に分けた患者と治療者との心の治療法を提唱していると説明。磯前先生も月一回の精神分析を北山修先生から受けているとのことです。講義後の質疑応答は一時間に及び、次回は青髭と夕鶴の新たな物語を語ることを予告して終了しました。
傾聴論、差別論、死者論、転移論、翻訳論、主体化論を盛り込んだ磯前先生の今回の講義は、実に刺激にあふれ、不思議と知らず知らずに問題意識が共有されていきます。残すところあと二回ですので、ぜひご聴講のほどお願いいたします。
(担当スタッフ)