11月12日(土)、法華コモンズ2022年度後期、一日集中講座として、講義と対談によるシンポジウム「偽書が生み出した日本仏教」が新宿常圓寺祖師堂「地階ホール」を会場に、オンラインと併用して開催されました。東北大学大学院文学研究科教授、佐藤弘夫先生、東京大学史料編纂所教授、菊地大樹先生を講師にお招きし、それぞれの先生にご講義いただいた後、対談と質疑応答が行われました。以下、シンポジウムの様子をご報告します。
まず、講義Ⅰとして「顕現する仏たちー「生身」と中世仏教 」という題で佐藤先生がご講義されました。まず佐藤先生は、中世仏教研究の流れを近代以降どのようであったのかを丁寧にお話しされた。特に近年、日本仏教研究の主戦場が近代仏教へと変わっていった流れをわかりやすく話された。
その上で、今学界並びに宗教者が直面する課題として、祖師並びに祖師の教えを現代に蘇らせるためにはどうすればよいかというものがあり、その解明のためには祖師の信仰体験を通じて、非整合性であっても、そこに光を当てることで鎌倉仏教像を再構築できるのではないかとの見解を示された。
次いで実例として日蓮、親鸞を挙げ、その思想の核心に論証不可能な部分や誤読があることを示し、その「回心」すなわち発想の転換や飛躍を生み出す「体験」があったこと、その「体験」自体の研究が進んでいないが、「回心」こそが新しい信仰を生み出し、人々を引きつけた魅力であることに気づく必要があること、そしてこれまで学術的に論じられてこなかった、論理を超えた宗教体験を組み込むことで日蓮をはじめ鎌倉仏教祖師像の再構築が可能であることを具体例として親鸞の夢告、日蓮の『不動愛染感見記』・虚空蔵菩感見を挙げつつ主張された。
その上で、中世当時「現世」と「他界」を結ぶ最重要な媒介者として「生身(しょうじん)の存在があること、「生身」とは、目に見えないはずの仏がその人のためだけに姿を現したものであり、きちんとした手続き、霊場参詣や参籠、さらには見る者の智恵を踏まえれば誰でも体験できるという共通認識、すなわち全ての人が不可視な「他界(あの世)」の救済者とコンタクトできるという認識が、偽書を生み出す思想的土壌となっていたのではないかと論じられた。
その後の流れとして、こうした中世世界の共通認識は14世紀に入ると急速に変化すること、それは世俗化や科学の進歩が進み「他界」が急速に萎み、「現世」の割合が大きくなるためであり、それに伴い、中世的偽書が生み出されなくなっていくと延べ、一例として霊場の捉え方の変化や幽霊像の確立と普及などを挙げつつ、その流れを解説していただいた。
「生身」を見ると言うこと、宗祖の宗教的体験の相対化という視点から中世仏教研究の流れを論じていただき、聴講者一同新たな視点に大きく刺激を受けた。
次いで講義Ⅱとして、「偽書と伝授-語りえぬものを語ること-」という題で菊地先生が講義されました。
菊地先生は、まず日本史研究の立場から、「正史」であっても家力や権威からのバイアスが存在しており、その「正統」に対して正しさ・本質が議論され、追求されるときに偽書・偽文書が生み出されると主張された。そして、「正史」編纂が放棄されると、「歴史物語」がに歴史叙述が委ねられること、「物語り」によって叙述される歴史が残されているのが中世であったと、時代の特徴を示された。
次いで、偽書生成の理由について、キリスト教世界や中国の訳経事業や経典編纂を例に多角的に説明された。これらの例では常に権威によって「正統」が作り出され、それに対する者として「異端」が生まれ、「異端」に含まれるものの中に「偽書」があると示された。その上で、日本における「正統」と「異端」を見ると、世俗の権力、教権が社会に押しつけた『正当性』が「正統」につながるのであるが、中世は特にこうした世俗の権力、教権が弱まった故に「偽書」が生成されることになったと論じられた。
その具体例として『弘法大師御手印縁起』や『御遺告』といった文献を紹介され、真言宗内の政治的な動向に即して修法や偽書が発展していたこと、すなわち、権威の低下の中で新たな時代の要請があり、それを受けての修法の発明や新たな権威作成が「偽書」の生成に大きく影響を与えていたことを簡潔に示された。
また、日蓮の『不動愛染感見記』を挙げ、やはりこれもまた自身の正統性や権威作成のために用いられていたということをご自身の研究に基づき示された。
最後に佐藤弘夫氏の『偽書の精神史』の一節を引用し、中世という時代の特異性、各宗祖達の想いを示した上で、偽書の終焉には各教団の教学が確立していくという時代的背景が大きく影響していたことを示された。
偽書についてキリスト教世界を含めて多角的な視点で論じて頂き、聴講者一同新たな視点を頂けたことに大きく感銘を受けていた。
お二人の講義の後、会場並びにオンラインでから多くの質問が出されましたが両先生はとても丁寧に答えてくださいました。
次いで、お互いの先生が互いの講義に対しての質疑、講評が行われた。
まず菊地先生から佐藤先生に、中世独特の偽書を作り出すメカニズムについて、「生身」や「聖」なるものに触れること、菊地先生は「始め」の物語を語りたいと思った瞬間に生まれること、すなわち会ったことのないものが自分の口を借りて語り出すときが偽書を生み出す瞬間だったのではないかいう視点に共感を得たことを感想として述べた上で、近代における科学と宗教の関係についてなど、鋭い質問がなされ、佐藤先生もそれに丁寧にお答え頂きました。また佐藤先生からは、中世仏教の祖師研究を通じて、文化史、思想史等を書き換えるような研究が望ましいと述べた上で、菊地先生が講義された「正統」と「異端」の問題について、中世は「正統」のない時代であるが、「異端」が立ち上がったときには批判の立場が存在している。その存在を「正統」がと結びつけて考えられないかという質問がなされ、菊地先生も丁寧に回答されていた。
最新の研究に基づき、非常に幅広い議論がなされ、長時間にもかかわらず、会場、オンライン共に活気に満ちたシンポジウムでした。改めて両先生に感謝申し上げます。