去る2021年10月19日(火)午後6時半より、菊地大樹先生の連続講座シリーズ「歴史から考える日本仏教」第8回目の連続講義として「裏から読む鎌倉時代—日蓮遺文紙背文書の世界—」の第一講が、久々の対面講義で新宿常円寺祖師堂3階会議室において開催されました。この講義では、在宅での受講も可能となるように初めてZoomでの実況配信も実験的に試みました。
今回の講座では、テキストとして「中山法華経寺文書Ⅰ」(千葉県史料研究財団編『千葉県の歴史』資料編・中世2、1997)の古文書(紙背文書)を読んでいきます。また参考資料として石井進『中世を読み解く―古文書入門―』(東京大学出版会、1990)が挙げられています。はじめに第一講の要点として、「紙背文書の面白さ」と「紙背文書から日蓮の周辺を考える」という2点を挙げられて、「紙背文書」について実に詳しく説明を頂きました。以下にレジュメの目次を示しながら、講義内容を簡単に補足して、報告していきます。
第1講 日蓮遺文紙背文書とはなんだろう
- 紙背文書とはなにか
○紙は貴重だった⇒古代では木簡、平安期から紙を漉き直して使用。書状や公文書は裏面を再利用した。
○反古紙を成巻する⇒反古紙は日記や典籍の写しに使う。再利用のため下処理をして継ぎ足し巻物にする。
○紙背文書はなぜ重要なのか⇒本来なら破棄される当座の文書、訴訟関係や権利関係文書が残る。消息経(法
要関係書類の裏面に写経)、摺経(裏面に経文印刷)など、当時の伝えようとしない歴史面がわかる。
2、日蓮遺文紙背文書の構成
○日蓮遺文紙背文書はなぜ残されたのか⇒千葉氏の事務官僚だった常忍は、千葉氏関係の文書を預かり取捨
選択・廃棄の役目で、反古文書を日蓮のためにノート類として提供。使用後に法華経寺に伝来・保存した。
○紙背文書が残された中山法華経寺聖教⇒「双紙要文」「天台肝要文」「破禅宗」「秘書要文」「叡山大師伝」。
○その他の定遺未収中山法華経寺聖教⇒中尾堯編『中山法華経寺史料』でほぼ全部が全部を翻刻紹介(1968)。中尾堯編「日蓮聖人御真蹟—中山法華経寺聖教殿所蔵―」で原本の形状まであわせて影印の形で復元出版。
○なぜ聖教により紙背文書の有無が分かれるのか⇒日記・典籍などの清書本は紙背文書のないものが多く、紙背文書の残された書物は、まだ再編集する可能性がある。
3、表裏の関係から考える—「秘書要文」を例に—
○日蓮遺文紙背文書の保存と伝来⇒紙背文書の4点のうち3点は「常修院(日常=常忍)本尊聖教事」に記載があるが、「秘書要文」は無く、常忍はこれを日蓮筆と理解せず。「本尊聖教録」(日祐作)には「秘書一帖〈反古草子〉」があり、「叡山大師伝」(富木常忍筆)もこれに加えられている。
○「秘書要文」は日蓮自筆か⇒【山中の考察1963】「涅槃経疏」の引用箇所と梵字を伴う末日が日蓮自筆で、あとは他筆。【菅原の考察2013】日蓮自筆は山中説に同意、他筆はほぼ常忍筆で、一か所のみ他筆がある。
○日蓮筆部分と紙背文書の関係
○冊子本の形態から見る表裏の関係と「秘書要文」⇒最初から折本として成立している。「秘書要文」は最初から32丁の冊子本として仕立てられ、そこに書き継いでいったもので、テーマごとに改帖し、追記可能。
○日蓮から常忍への伝授のあり方⇒密教における伝授の基本である「印信」は、基本的に受者(弟子)が書写して最後に授者(師)が署判のみを加える。「秘書要文」での伝授方法には両者独特のあり方が伺われる。
「おわりに」では、「日蓮の「ノート類」への史料学的検討の必要」として、初期日蓮教団の独自性が分かるため、たんに教理内容の検討ではなく、これらのノート類が持っていた機能や伝来などの史料的性格を個別に検討することが必要であり、また「「秘書要文」の思想史的意義」としては密教や密教的浄土信仰を含む初期日蓮教団の教学体系を知る手がかりとなる。末尾の不動愛染の種字は、日蓮の虚空蔵求聞持法修行による「理智冥合」「金胎不二」という最新天台・真言密教の成果であり、後の「十界曼荼羅」図顕にまでつながる秘事であった、と述べられて、講義を修了されました。
次回の第二講の「日蓮と富木氏・八幡荘」も、11月16日(火)に今回と同じく対面とオンラインの両方でのハイブリッド形式で開催する予定です。どうぞ、新規の受講も受け付けていますので、宜しくお願いいたします。 (文責:スタッフ)