令和3年年2月13日(土)午後4時30分~、令和3年度「法華仏教講座」第5回の講義を小松正学先生に当学林よりお願い申し上げ、コロナ禍の中、Zoomを用いたオンライン実況の形式でご講義頂くこととなった。
講題は「玄妙阿闍梨日什の伝記とその教風」。
小松正学先生は現在(令和3年2月現在)、顕本法華宗教務部長、また同宗の妙塔学林教授を勤められ、同宗開祖・玄妙阿闍梨日什大正師(=什祖、1314~92以下、什師)の事蹟調査や、先哲遺著解読に携わられている同宗の碩学である。
当日は、同宗の河野宗務総長をはじめ宗務院の諸師、教学研鑽関係者など多数の聴講者にご参加頂き盛会となった。
今回のご講義は、厖大な資料に基づきながら、それらをダイジェスト版的に纏めてご講義くださるという、大変画期的なものであった。
今、小松先生のご講義を、その流れに沿って概略紹介すると、先ず、什師の生涯について年表を追って紹介され、什師の伝記・行跡の先行研究に関し詳しく解説された。
次いで、什師以前における什師母方(清玉姫)の三浦氏(葦名氏本家)と葦名氏のなりたちを論じられ、系図を示しながら、葦名氏(佐原氏)について、また、什師の時代の三浦氏について細かく考証された。
更に、会津における史料を検討され、什師の出自について、従来の説への今一度の見直しを計られた。すなわち、『石井記』『実伝』『富田家年譜』『会津鑑』『葦名家由緒考證』『異本塔寺長帳』『会津旧事雑考』『新編会津風土記』『会津温故拾要抄』等の記述を一つひとつ丁寧に辿りながら、什師の父母について厳密な考証を施された。
その後、堂家氏及び庶流、石塚、石部氏のこと、三氏建立の社寺の紹介、什師の時代における葦名一族、葦名直盛(7代、什師従兄弟、黒河城下整備)、同夫人、葦名詮盛、佐原金吾盛継(幼名・盛久、直盛次男)、日出山又次郎英秀(什師生涯の支援者、先祖は佐原氏)について微細に解説してくださった。
そして、什師開基の寺々と当時の三浦一族の動向に触れられ、什師が布教され開基となった寺院の多くが三浦一族と関係の深い土地であることを明確にされた。
以上から、総じて、日什門流に伝わる諸伝記以外にも会津地方には什師の行跡を物語る史料が存在していること。史料の穿鑿により、什師の出自については、父・覚知が源氏の末流ではなく、古くから会津に住む堂家庶流の石塚氏と考えられ、母は葦名盛宗の娘・清玉姫で間違いないこと。これまでの伝記では明らかになっていないが、什師に帰依した葦名一族の人々が存在しており、什祖の行跡を考える上で重要性をもつことが浮き彫りとなった。
その上で、小松先生は更に、日尹上人(富士派)日宗・日満・日尊各上人(日蓮宗中山(真間)門流)、日陣上人(陣門流門祖)等、日蓮門下各派と什師との交流について、資料を精確に吟味されながらその真相を尋ねられ、什師は天台宗からの改宗後のみならず改宗前から日蓮門下と交流があったと思われること等を確認され、什師研究に新たな地平を開かれた様は見事であった。
凡そ以上のように、従来の什師研究を大きく進展させる所見に充ちた、実に2時間半に及ぶ大講義となった。
ご繁忙の中、ご登壇頂いた小松先生には、心よりお礼申し上げる次第である。(スタッフ)