2020年12月21日(月)、今年最後の『法華経』『法華文句』講義が行われました。
今回は、弥勒菩薩が他土六瑞について問うた内容のうち、雑問のなかの持戒行についての解釈からの講義でした。(342P 3行目~)
ここに説かれる「威儀無缼」は不欠戒(『大智度論』)であるとして、「浄如宝珠」は、第十の究竟戒(『大智度論』の「随定戒」)を指しています。
次に「又見仏子住忍」からは忍辱について問うています。この忍とは生忍と法忍のことで、生忍は衆生の迫害・優遇のどちらにも心を動かさず忍耐すること、
法忍は、すべての存在が不生不滅であることを覚って心を動かさないことを意味します。
次いで、「又見菩薩離戯」からは、禅定について問うています。「離戯笑」は五蓋のうちの掉悔蓋を退け、「離癡眷属」は瞋蓋を除き、
「近智者」は疑蓋を除き、「一心除乱」は貪蓋を除き、摂念山林は睡蓋を除くと解釈しています。
そして「或見菩薩」からの五行は布施についての問い、「或有菩薩説」からは智慧について問うています。
「文殊師利又有菩薩」以下は、仏滅後に舎利をもって仏塔を建てることを明かしており、他土の仏は五濁の世に出世して、
一より無量の法を説き、無量より一に帰して、正しく涅槃に入るとしています。
「又見仏子造」は、塔の数を明かし、「宝塔高妙」は塔の大きさを明かし、「一一塔」は塔の相を明かし、「諸天龍神」は供養を明かしています。
「仏放」以下は、弥勒菩薩が文殊菩薩に答えを請う内容が説かれています。
はじめの3行は、疑いの事柄を挙げて願うことを述べています。後の5行は、伏難について解釈しています。
伏難とは、文殊菩薩がはっきりとは言わない(伏)が、心に抱いている疑問点(難)のことです。
伏難の意義については3つあり、1つは、この瑞相は希に見るものであり軽率に判定できないため、
2つめは智慧ある人は海のようであり、謙遜して高い者にゆずる、3つめは、簡単に答えずに人々の渇仰を生じさせるためであると解釈しています。
また、弥勒の疑いにも3つの意義あります。1つめは瑞相が大であるから疑いもまた大であること。2つめは智慧あるものは多いけれども、機は文殊にあること。
3つめは、皆がこぞって文殊を見るからであるということです。そして以下に文殊の伏難について詳しく解釈されています。(350P 3行目まで)
なお、次回の「『法華経』『法華文句』講座」は、緊急事態宣言が出されるという報道を受け対面講座を止めて、下記の通り「オンライン実況」講義を開催することとなりました。
●【オンライン講義】「『法華経』『法華文句』講義」
1月25日(月)午後6時半~8時半 菅野博史先生
受講者の皆さまは、1/25(月)午後6時30分の開催日時になりましたら、事前に送られる「Zoom入室URL」をクリック、パスワードを入れてご聴講ください。
なお、対面講義でもオンライン実況講義でも、受講者には、講義の終了後に「講義の動画配信」を行っています。
会場に来れない方や日程が合わない方も、動画により受講することができます。ブログよりお申込みください。