講座「日蓮と蒙古襲来の時代」第2講オンライン講座

講座「日蓮と蒙古襲来の時代」第2講オンライン講座
2020年11月17日 commons

2020年11月17日(火)午後6時30分より、菊地先生の2020年度後期講座【歴史から考える日本仏教⑥】〈日蓮と蒙古襲来の時代〉第2講「日蓮と蒙古襲来」が行われました。新型コロナウイルスの感染予防のため、前回に引き続きZoomによる動画を生配信し、受講生の方々が各自オンラインで受講しました。

 

第1講では蒙古襲来に関する先行研究を踏まえながら、近代における「元寇史観」の持つ意味と問題点を挙げてくださいました。その上で、膨大な史料に基づき、承久の乱以降、蒙古襲来までの政治史、特に得宗家と他の勢力との争いを軸としてご講義いただき、蒙古襲来前夜までの流れを緻密かつ明瞭にお教え頂きました。

第2講となる本講座では、前回に引き続き、文永の役、弘安の役について史料に基づき紹介して頂きました。その上で、本講義のタイトルである「日蓮と蒙古襲来」についてご講義頂きました。以下、内容について要点を絞りご紹介いたします。

 

3.蒙古襲来への道

(2)文永の役

戦闘の規模や経緯について、史料に即して解説していただいた。中でも、我々が蒙古襲来に対して抱いていたイメージ、大軍の襲来や集団同士の合戦、対馬での殲滅といった出来事が、史料や先行研究からは異なった様相であったことをご教示いただいた。

 

(3)弘安の役

先行研究である服部秀雄氏の考察を引きながら、時系列に沿って出来事を概説していただいた。特に異国警固の目的で、これまで鎌倉幕府や武士の支配下になかった「本所一円地」にまで動員をかけ、全国的な支配を強めていたこと、日本の史料のみならず、高麗の史料も引きながら戦闘の様子をご紹介いただき、いわゆるゲリラ戦的な戦闘も行われていたという事実のご紹介は受講者にとって非常に新鮮な内容であった。

 

はじめに

引き続いて、第1講でも少し触れられていたが、神仏の戦争についてご紹介いただいた。その中で神仏の戦争とは、歴史的事実というよりも物語(言説)的なものであるが、それを現代的視点で見るのではなく、当時の思想、神仏観を踏まえつつ見る必要があるとご教示いただいた。

 

1.神々の戦争

(1)「三韓征伐」のイメージ

中世人は蒙古襲来に際し、記紀神話、特に『日本書紀』に述べられている「三韓征伐」(「新羅征討説話」)のイメージを強く意識していたこと。それは蒙古襲来後10年以上に亘って寺社より恩賞の申請があったこと、その中で「三韓征伐」に功のあったとされる神社からのものが残されている点から言うことが出来るとご教示いただいた。

 

(2)神仏の武功

(1)で示した寺社からの恩賞の申請であるが、その形式が、武士による恩賞の申請書(「合戦注文・手負注文」)の様式を用いたものであり、本気で神威を信じている中世人の姿をありありと紹介してくださった。

 

2,日蓮遺文と蒙古襲来

(1)鎌倉幕府の政治抗争

『立正安国論』の3回の提出を軸に日蓮聖人が「他国侵逼難」をどうとらえていたのか、御遺文と当時の対外情勢、鎌倉幕府の政治抗争からご教示いただいた。当時の状況を見ると、1回目の提出の時点では現実の外国からの侵略にはそれほど危機感があったとは言えず、聖人の中で重視されていたのは「自界叛逆難」であり、その対句的立場で「他国侵逼難」の存在を考えていたのではないかという見解が示された。

 

(2)『立正安国論』再提出

ところが、再提出(文永5年)の時点では蒙古国書の到来などがあり、外国からの侵略が現実味を帯びている時期であった。その時に日蓮聖人から再提出された『立正安国論』に付随する『安国論御勘由来』を見ると、1回目の「勘文」の性格を帯びつつも内外の「記文」を多く挙げていることから、『安国論』の性格が「勘文」から「記文」すなわち未来記へと転回しているという指摘をされた。そして、「記文」の性格を帯びたときに、未だ起こっていないが現実味を帯びてきた「他国侵逼難」の強調へとシフトチェンジがなされたという見解が示された。

(3)佐渡滞在から文永の役まで

佐渡流罪中、二月騒動という幕府内での政治抗争が勃発したことで『安国論』の「記文」的性格がより強まったこと、また、身延入山から弘安の役にかけては、記文としてだけでなく、様々な場面で蒙古について触れておられることを、多くの御遺文を紹介されながら提示された。また、当時鎌倉幕府から「悪僧」認定されていたであろう聖人に対して平頼綱が蒙古襲来の時期を問うという事例から、先に挙げた「本所一円地」への支配拡大と同様に、国内勢力の結集を幕府が目指していたからではないかという示唆を頂いた。

 

 

最後にまとめとして、

異国からの侵略という事態に対し、過去の事例(三韓征伐)を意識しつつ、修法としての密教や神道の祈禱があり、神々はそれに使役される兵士となり、その兵士を操る主体としての仏僧・神官がいたという構図が、戦功の主張や恩賞の要求などから見て取れるという事例を踏まえて中世における神々のコスモロジーの一端を示していただいた。

しかし、その構図は宗教的論理や本来の体系から乖離したものであったために、日蓮聖人はその点を批判されたのではないかと述べられた。

また、これまで様々な形で示され、主張されてきた、日蓮聖人=預言者という構図に対して、「預言」という言葉の持つ意味から捉え直し、その実態を明らかにしてくださった。

 

講義終了後、質疑応答が行われ、2名の受講者の方から熱心な質問が寄せられました。それらに対し菊地先生は丁寧にお答えくださり、聴講者一同、一層の興味関心を抱くことが出来ました。誠にありがとうございました。

新型コロナウイルス感染拡大の影響により、Zoomによる講義が続いていますが、菊地先生は来年度前期の講義についても様々なご意見に一つ一つ耳を傾けてくださり、受講者・スタッフ一同、先生のご講義を熱望している次第です。

今年度後期最終回、第3講「変革と内乱の時代」は12月22日(火)午後6時30分~開講予定です。詳細につきましては「法華コモンズ」ホームページよりご確認ください。(スタッフ)