10月31日、花野充道先生による法華仏教講座の対面講義が行われました。講題は「日蓮聖人と伝教大師の『依憑天台集』」でした。
まず初めに、「宗祖讃仰の宗学と真理探究の思想史学の研究方法の違い」について講義され、日蓮教団の宗学者は基本的に、「日蓮仏教は上行菩薩所伝の仏教である。日蓮聖人自身がそう言われているのだから、そうだ」という立場である。対して思想史学者は、私や田村芳朗氏のみならず、家永三郎氏も末木文美士氏も、日蓮聖人の思想を当時の思想的環境の中で相対化してとらえようとしている。宗学者の研究は日蓮讃仰がその目的であるが、思想史学の研究は真理探究がその目的であるから、議論が噛み合わない最大の理由は、方法論の違いによるものである」と述べられた。
続いて「最澄と『依憑天台集』」について、「日蓮聖人は台密の淵源が祖師の最澄教学にあることを充分に知っておられた。ところが、後になると最澄は円密一致主義者ではなく、密教を批判した法華経最勝主義者であると強弁されるようになった。日蓮聖人は『報恩抄』の中で、『依憑天台集』を「秘書」と称されている。最澄には他に明確な真言批判の文がないことを知っておられたからである」と述べられた。さらに、「最澄の『依憑天台集』ははたして円密一致を否定した書であろうか」と問題提起され、最澄と空海の間で交わされた手紙の内容について解説された後、「空海は密勝顕劣主義者、対して最澄は円密一致主義者である」と結論づけられた。
続いて、日蓮聖人が『依憑天台集』に言及した遺文を列挙され、「佐渡赦免の直前に記された『取要抄』には、「慈覚等は本師の実義を忘れて、唐師権宗の人に付順するなり。智証大師は少し伝教大師に似たり。……此の法門は当世日本第一の秘事なり。之れを軽んずること勿れ」と記されているから、日蓮聖人は円仁に大日経勝・法華経劣の文があり、円珍に大日経勝と法華経勝の両方の文があることを、正確に認識され、円仁と円珍の評価に差をつけておられた」と講義された。
最後に、「各門流の宗学においては正解が決まっているから、丸暗記でも合格点がもらえるが、思想史学においては正解は一つではない」と述べられ、「両者の違いを端的に言えば、高校の授業と大学の講義の違いである。高校の授業や各門流の学林の授業は、『観心本尊抄』や『開目抄』など真偽の確定した遺文のテキスト(文部科学省検定の教科書)があって、それをどのように解釈するかが合否の判断基準となる。しかし大学の講義においては、正解が決まったテキストがなく、たとえば『戒体即身成仏義』の習学を通じて、各人が客観的かつ主体的に日蓮聖人の真実を探していくことになる」と述べられた。
「思想史学の論文は、(1)その研究方法論に一貫性かあるか、(2)より多くの資料や先行研究をふまえた客観的な研究であるか、(3)日蓮聖人の内面にまで踏み込んだ主体的な研究であるか、(4)より多くの人々の賛同を得られる説得力があるか、(5)日蓮聖人研究の深化に貢献する新たな知見が盛り込まれているか、このようなことが評価の基準になる」と締めくくられ、講義を終えられた。
次回の法華仏教講座は、11月24日、高森大乗先生が「日蓮遺文の賢王と愚王」と題してして講義してくださいます。当日だけの聴講も受けつけていますので、是非、ご参加ください。お待ちしています。(スタッフ)