菅野博史先生のコモンズ後期講座第二回「『法華経』『法華文句』講義」が、去る令和元年11月25日に開催されました。今回の講義は、テキスト『法華文句(Ⅰ)』の176頁最終行の「本迹とは、本地は測り難し」から始まり、184頁の最終行の「故に知んぬ、第九地を歎ず」まで進みました。内容としては、前回の「菩薩衆」についての解釈の続きとなり、菩薩についての六のカテゴリーとなる、①気類、②大数、③階位、④徳を歎じ、⑤名を列し、⑥句を結ぶ、の内で、①気類である「菩薩摩訶薩」(経文)の本迹釈からです。
「薩摩訶薩」の本地は「諸仏に隣り」にあって、迹では「釈迦を輔けて」菩薩になるとして、普現色身三昧(色身を現する三昧)のよってあらゆる姿を現して、不可思議な説法による教化をもって広く説く、という。観の解(観心釈)では、中道の観心は、二諦をならべて照らすのを大、菩提の果に至ることを道という。
「(菩薩摩訶薩が)八万人あり」の観心釈では、一の善心が十界互具して百法界、それに十如是で千となり、十善で万法として、八正道に訳して八万の法門とする。「皆阿耨多羅三藐三菩提に於いて退転せず」とは「位」を明かして、不退転とは位不退・行不退・念不退の三不退を論じている。三悪道に生れないことを位不退、辺地や女性に生れないことを行不退、宿命を知ることを念不退という。十地(『十地経』)では、六地までを位不退、七地を行不退、八地を念不退とする。地論師の不退論は別教の義として用いない。(地論師、摂論師、成(実)論師、数論師などあり)。
次の経文は「皆陀羅尼を得て、楽説弁才あって、不退転の法輪を転じ、無量百千の諸仏を供養し、諸仏の所に於いて衆の徳本を殖え、常に諸仏に称歎せらるることを得、慈を以て身を修め、善く仏慧に入り、大地に通達し、彼岸に到り、名称普く無量の世界に聞えて、能く無数百千の衆生を度す。」となる。『法華義記』には「『皆得陀羅尼』より去るは、始めて是れ徳を歎ず」とあり、この徳を歎ずを十二句として四意として解釈している。随文釈義としては、皆得陀羅尼」は二地(離垢地)を歎ずとする。「楽説弁才」は三地(明地)を歎ず。「転不退転法輪」は四地(焔地)を歎ず。「供養百千諸仏」は五地(難勝地)を歎ず。「於諸仏所植衆徳本」は六地(現前)を歎ず。「常為諸仏之所称歎」は第七地(遠行地)を歎ず。「以慈修身」は第八地(不動地)を歎ず。「善入仏慧」は第九地(善慧)を歎ず。以上を読解して講義を終えられた。最後に報告として、中央学術研究所での森章司先生の『原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究』が終わって年表が作られたという話にふれて、28年間の研究業績についての所感を話されました。
次回は、12月23日(月)に開講となります。御受講の程、宜しくお願いいたします。
(担当スタッフ)