令和元年9月30日(月)18時30分から、「『法華経』『法華文句』講義」講座(第18回)が行われました。(テキスト161頁4行目から)
ここまでは声聞(比丘衆)のなかでも「多知識衆」(世間によく知られている弟子)について解釈されてきました。
今回からは「少知識衆」(世間にはあまり知られていない弟子)についての講義でした。
『法華文句』では、『法華経』本文にある「学無学の二千人あり」について、この二千人が「少知識衆」であるとしています。
また、「学・無学」については、蔵教では『中阿含経』に説かれる十八種の学人と九種の無学人と解釈しています。
通教では、五地を学、六地を無学とする説と、九地を学とし、仏地を無学とする説を示しています。
別教では初地以前を、円教では初住以前を功用地とし、その上を無功用地として学・無学を明らかにしています。
次に「二千」という数を明らかにしています。詳しくは十界互具により百界となりそれに十如をかけて千如となり、
また十如互具によって百如となり、それに十界をかけて千界になる。この千如と千界をあわせて二千となると解釈しています。
続いて「比丘尼」についての解釈が行われます。「比丘尼」も、有名聞(知られている比丘尼)と小名聞(知られていない比丘尼)の二種がありますが、
『法華文句』では詳しく触れておらず、ここでは「波闍波提」と「耶輸陀羅」の二人について解釈しています。
「波闍波提」は、釈迦の叔母、養母であり、また阿難の口利きによって最初に出家した比丘尼としても有名です。
中国語では「大愛道」「憍曇弥」とも訳されています。観心釈では、「大愛道」について「大」を自行、「愛」を化他行、「道」は自行・化他に通じていると解釈します。
「耶輸陀羅」は釈尊が出家する前の妃であり、羅睺羅の母です。『十二遊経』には三人の夫人が出ており、「耶輸陀羅」は二番目に名前がでています。
『未曾有経』には羅睺羅の母は「耶輸陀羅」と説いているが、『太子瑞応本起経』では羅睺羅の母は「瞿夷」であると説いている。
『大智度論』では「瞿夷」は子供が産めなかったので、羅睺羅の母は「耶輸陀羅」であるとしている。
最後に、これまで解釈してきた弟子たちを総合的に、その出生や外道の師のもとで修行をしたこと、そして釈尊との因縁について示しています。
そして、「五部」によって受けた利益を「五味」で解釈しています。(170頁1行目まで)
(文責・スタッフ)