講座「日本宗教史の名著を読む」第4回講座報告

講座「日本宗教史の名著を読む」第4回講座報告
2019年7月23日 commons

令和元年7月23日(火)午後6時30分より、菊地先生の講座【歴史から考える日本仏教③】〈日本宗教史の名著を読む〉第4講「ルチア・ドルチェ「二元的原理の儀礼化-不動・愛染と力の秘像-」を読む」が行われました。まずは論文の著者ルチア・ドルチェ氏について、イタリアシチリア島出身で専門は日本宗教史、仏教学。過去に立正大学日蓮教学研究所に客員として在籍していた。イタリア人なのでラテン系で情熱的な方とご紹介。また名著とは決して古典のみではなく近著にも、本論文のように日本人以外の著作にもあると教えていただきました。

はじめに、『不動愛染感見記』(以下『感見記』と略称)は、宗学の中ではスーパーナチュラルな日蓮独自の感得図と把捉され、中世の密教的な儀礼との連関を否定的にとらえ、または閑却視してきた。菊地先生は、本論文は中世における多様な密教流派の存在を正当化し、宗教的に新たな解釈を提供した、と指摘。また、本論文のキーワードとして「イメジャリー」、「遂行性」の2つを挙げられました。

次に内容について菊地先生は、『感見記』をはじめ本論文に掲載された20点以上の図像や、引用資料について丁寧にご説明いただき、特に以下の点について解説をされました。1.『感見記』の基本的理解について、『感見記』は中世の正統的な密教儀礼書には見出すことができない尊格であり、菊地先生は、筆者はかかる「非典型的」な図像の解釈から、例外的・一回的な図像と見ず、そこから新たな次元を見出すことを志向している、と指摘。2.不動・愛染の組み合わせについて、両頭愛染や人形杵・「馬陰蔵三昧」に暗示される赤白二滴などのイメージ(二元性)は、「悟りの身体」=新しいものを生み出す、と解釈され、中世真言密教では異端批判などの対象となるが排除されたわけではなかった。3.『感見記』の図像とほぼ同じ形態の不動・愛染を描いた、三室戸寺蔵「摩尼曼荼羅」について、菊地先生は、左右の不動・愛染の間、中央の菩薩像が三光天子のうち「星宿」を表すとすれば、菩薩像はむしろ「明星」を表象とする虚空蔵菩薩ではないか?本論文を含む、一連の研究の発端となった、真鍋論文(「虚空蔵求聞持法画像と儀軌の東国進出」上・下(『金沢文庫研究』)1995年)にさかのぼり、虚空蔵求聞持法と不動愛染の問題を再検討すべきである、と指摘。おわりに.二元的原理の不二から、その延長線上に両者の対立を物理的(かつ哲学的)に超越する第三の要素を生み出す。つまり不動は不動として、愛染は愛染として安定して存在するが、それが合致することでさらに第三の原理が生み出される。宗学の中ではこれまで触れられることのなかった、『感見記』と中世の密教的儀礼との連関性について、イメジャリー・遂行性をキーワードに、虚空蔵求聞持法との関係などの新たな見解を示しながら詳細な読み解きが終了しました。

最後に菊地先生は、ルチア・ドルチェ氏は日蓮について、特に醍醐寺の強い影響を指摘するが、もう少し広く取って醍醐三流の影響下に日蓮があったことを想定すべきではないか?日蓮を通過する一本の系譜(血脈)でこの問題を考えるべきではなく、同時代の人々が共有した知識体系として理解すべきである。また東福寺円爾の印信「愛染王持彼口決」にみる不動・愛染の対比の中に、不動に「煩悩即菩提」、愛染に「生死即涅槃」が配当されており、これと同じ配当が身延山久遠寺『本尊論資料』の中に多く見られる。日蓮以降の日蓮教団における不動・愛染解釈、ひいては曼荼羅本尊の勧請をめぐる問題をも射程に入れた重要な検討課題を教示され、重厚かつ濃密な2時間の講座が終了しました。質疑応答では2人の方の質問に対し、一つ一つの質問に丁寧に答えていただきました。

次回は「西村玲「教学の進展と仏教改革運動」を読む」、8月6日(火)開講予定です。当日のみの受講も大歓迎ですので、事前にご連絡頂ければ「事前資料の論文」をお送りします。どうぞご聴講ください。(スタッフ)