講座「歴史から考える日本仏教② 《顕密問題》を考える」第1回講座報告

講座「歴史から考える日本仏教② 《顕密問題》を考える」第1回講座報告
2018年10月16日 commons

1016日火曜日1830分より、「顕密問題の基本形」と題しまして菊地先生による講義が開催されました。以下概略を報告致します。「顕密問題とはなにか」を考える前に、日本の大乗仏教は、アジア圏の中では特異なイメージがあるとみられる中で、鎌倉新仏教の時代では、顕密問題がどのように関わっていき、また世間からみた密教への注目度も踏まえ、顕密問題の中の「密教」をはじめに紐解いて考えてみたいとのお話がありました。

「密教」と言えば一般的にどういう概念があるのかを考えると、『呪術(後進性)と儀礼(形式的)なもので、且つ不可解で理解出来ないもの、」として捉えられてきた経緯があり、そうしたものにはあまり意識が向かず、『怪しいもの』として、敬遠される様な傾向すらありました。

密教の歴史的な説明では、7世紀のインドで発祥した後期仏教としての位置付けされ、また日本での密教者と言えば、「空海」が有名ですが、空海が唐に渡る前の791年には「虚空蔵菩薩求聞持法」を受けた後、室戸岬などの四国での修行について紹介がありました。空海は唐において師事した恵果より相伝を受け帰朝した後、大悲胎臓・金剛界を一体化(金胎不二)するといった独自の世界観を示していくことで、空海教学を基にした日本での「密教」が確立されていきました。

奈良時代に空海の「密教」が明確に打ち出されることで、対象的に「顕教」が浮き彫りとなりました。これは易行と難行、浄土門と聖道門等と同じく、片方がクローズアップされる事で、新たにそのもう一方もカテゴライズされる形になっていくという事でした。また、「顕密」と言う言葉自体は、密教から定義された様ですが、冒頭でも触れた様に、「顕教」と「密教」とは、分離して考えるというよりは、『一体化したもの』として捉えて理解しておくことが必要ではないかとの説明がありました。

また、菊地先生は、「そもそも中国に密教はあったのか」という内容にも触れ、その理由の1つとして、『密教の伝授は印信が基本形とされているが、印信を基本とした形式等を弟子に譲り伝える事を、実際はどのくらい忠実に行われていたのか』という意味で考えた時には、歴史的文献学的には、些か困難な部分があったのではないか、との疑問を投掛けられていました。

「顕教」と「密教」を考えてみた時、『衆生の前に姿を現して見える事の出来る世界』が、「顕」として捉えられ、『仏が悟ったとする究極の真理といった世界』は、我々衆生の側からは見えない(測ることの出来ないもの)世界を、「密」として捉える事で、理解ができました。然し、顕教と密教を比べた場合、決して「顕教」そのものを意味の無いものや、「劣っている」と、下すような事はなく、その表現としては、「不二」の関係になるので、教理的に分けているという説明でした。

また、「弁顕密二教論」釈摩可衍論を取り上げられ、大乗起信論の註釈書である釈摩可衍論では、法身は自性身で、報身である受用身には、自・他があり、法身(空海)が説法する時は、自受法楽の為の説法を行う。自受法楽の説法を行うのは、報身【自受用身】が説法する。究極の説法とは法身(大日如来)だが、衆生の前に現れて利益する仏身(報・応)は、法身より劣ってしまうのか、或はそこには仏身としての勝劣の有無はあるのだろうか、と言う様な疑問を投げ掛けられました。

今回の講義では、現代に生きる我々が、歴史の中での「顕密」から何を読み取り、現代人にとってどういう意味や関わりがあるのかも視野に入れながら、「顕密問題」を多角的に考える必要性を、本講座のテーマとしていきたいとの説明がありました。

 報告は以上です。スタッフ