『歴史から考える日本仏教-鎌倉時代を射程に入れて』第6回講座報告

『歴史から考える日本仏教-鎌倉時代を射程に入れて』第6回講座報告
2018年9月18日 commons
第6講「里山寺院定着と近代の社会」と題して、菊地先生による講義を戴きました。以下概要を報告させて頂きます。今回は第5講後半部分【レジュメ7p】中段「白山禅定待りて、」からの続き、歌日記(山伏日記)を中心に、室町時代の僧侶で、聖護院門跡道興に触れながらレジュメに沿って説明がありました。
講義ではその内容とあわせて、菊地先生自身が九月初頭に白山登山を試みられ、無事登頂してきた時のエピソードを含めてのお話がありました。また文献では「白山の記」等を挙げられ、白山の水源の神といった信仰のお話と、白山の地形や縁起、またその他の資料についての概要説明がありました。
続いて第6講の説明では、講座の締め括りとしての総括的な意味で、近代から現在に繋がってくる経緯についてのお話しがありました。連続講義の始めにもあったように、山の宗教にとって「頂上の征服」というのは近代的な見方で、現近代以前の人達は「山の頂上」には興味を持って無かった事や、「頂上」といよりはその里山等の周縁と、修行者と周縁地域との関わり合いはどうだったのか」という事を議題にしてきました。そして時代が進むにつれて、修験行者の行動にも様々な変遷がみられ、修行者が為政者との関わりあいや、世間との関わり方が多くなる一方、地域社会での宗教的活躍の場として、修験者それぞれが担った役割(大衆の宗教儀礼への参加や、信仰的支え)を行いつつ、行者としての役割や存在意義を確立していったとのことです。それらを記録している文書や遺物には、近世江戸期の大宮寺(神社)の修験者が具体的に行っていた祈祷行や、祭事の内容を記録したものや、襖の下貼りから発見された御符やその版木、さらに別の材料で作られた「法印」の原木などがあり、それぞれスライドで紹介されました。以上概略を述べました。
さて少し内容がそれますが、第4講の講義での冒頭に、菊地先生からご案内のありました日本仏教研究学会が東京大学本郷キャンパスで行われ、『山の宗教』と題してシンポジウムに参加して参りましたので、あわせてご報告させて戴きます。このシンポジウムでの発表内容は、これ迄の菊地先生による講義内容との関わりも非常に多く、各講師先生からはそれぞれの研究分野からさらに掘り下げた研究発表を披露され、長時間に渡るシンポジウムでしたが、あっという間の時間で大変興味深い研究発表となりました。
中でも神道系の文書の引用に、日蓮聖人が引用される法華玄義七の『本迹異雖不思議一』といった文言や、その他『血脈相承』等の用語が、神道系の文書の中に引用されていた事には大変驚きました。
日本宗教の歴史の一部でもある『仏教と神道との深い関わり方』について目の当たりにした印象を受けました。講師の諸先生方による専門的な研究成発表により、最新の研究成果の一分を垣間見れたことは大変有難く、有意義な時間を過ごす事ができました。また次回の開催も今から楽しみです。シンポジウム主催者である日本仏教研究学会様にこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。有難うございました。
(文責スタッフ)