去る2月17日(土)午後2時より、菊地大樹先生の「『吾妻鏡』と鎌倉仏教」が開
催されました。第五講となる今回は「都市鎌倉と日蓮」をテーマに、資料として進行
レジュメと資料篇に加えて、石井進氏の論考「都市鎌倉における「地獄」の風景」の
コピーも配布されました。『御家人制の研究』(1981年吉川弘文館)に収録されたこ
の石井氏の論考は、中世都市鎌倉の実態を「中心と周辺」理論をつかって明らかにす
るとともに、『吾妻鏡』ではなく『日蓮遺文』などを主要な史料として参照したこと
でも画期的なものでした。
はじめに菊地先生は、都市鎌倉を論ずる前提として①戦後歴史学では近代的解釈の
「鎌倉「新」仏教論」が主流だったが、②黒田俊雄氏の「顕密仏教への注目」により
鎌倉「新」仏教が相対化され過小評価に転じたことを確認。そして『吾妻鏡』等に記
載がない(権力に無視された)『日蓮遺文』や教団の存在意義を強調し、都市鎌倉の
政治的かつ宗教的な状況下において日蓮が直面した「諸宗批判」や「中世法」につい
て言及されました。
そして「専修念仏の弾圧の過程」をつぶさに見ていくため、宣旨などの文書類を写し
た日蓮遺文の『念仏者令追放宣旨御教書集列五編勘文状』(略称『念仏者追放宣状
事』定本2258頁真蹟無)を取り上げ、「建保七年の念仏禁断」を詳しく検討していき
ました。そして「嘉禄三年の念仏禁断(嘉禄の法難)」についても、資料編の「御堀
川天皇綸旨」や「将軍九条頼経御教書」などを参照にして、多念義を広めた隆寛の遠
流の背景などについて言及されました。
そしてその後の専修念仏禁断の動きも確認しながら、日蓮の『念仏者追放宣状事』が
延暦寺の立場から幕府(鎌倉)と朝廷(京)と共に念仏禁断の訴訟を主張したもの
だったと指摘、しかし時代状況が変化しており、日蓮はその訴訟という方法が有効で
ないことを自覚して、「「勘文」を「論書」の形に変容・発展させて為政者の宗教観
に直接訴えかける方法として、『立正安国論』を著したのではないか」と、その執筆
の意図について新たな視点を提示して講義を終えられました。
最終となる次回は、「京と鎌倉 そして鎌倉仏教」をテーマとして「鎌倉前期におけ
る念仏流布の状況を踏まえ、宗教的側面だけでなく京都との政治的関係も交えなが
ら、政治的側面を押さえて同時代的に認識する」予定です。最後の一回だけの聴講で
あっても理解可能で刺激を受ける講義ですので、ぜひ受講ください。当日受講料は3,
000円です。また、受講生の皆さまには最後に修了証を授与いたしますので、ご欠席
がないように宜しくお願いいたします。
(スタッフ)