「『法華玄義』講義」第9回講義報告
平成28年12月19日(月)菅野博史先生の「『法華玄義』講義」の第9回目の講座、「妙法」解釈についての旧説(2)が行われ、約21人の受講者がありました。
今回は、梁代の三大法師で、智顗や吉蔵が前代の法華教学の第一人者であったとする光宅寺法雲(467−529)の『法華義記』の内容と法雲の教判への智顗の批判が紹介されました。
法雲の説は、『華厳経』を頓教として、漸教を五時に分かち、その第四時が「同帰教」としての『法華経』、第五時が「常住教」としての『涅槃経』としています。つまり『法華経』を『涅槃経』の下に置くというものです。
但し、それでも『法華義記』八巻では『法華経』を24段落に分け、詳細に解説しています。また『法華経』を「妙因妙果」として、因と果をそれぞれ「体・義・用」という三つの角度から多角的に解説し、『法華経』以前の経を「麁因麁果」として『法華経』に劣るとしています。
ただその解釈は、畢竟は、華厳・涅槃を中心とするため、権実二智論と因果論つまり、方便品の開三顕一を中心とするものです。そして寿量品の仏寿の長さも、質的な相違ではなく、相対的な長短の差であり、『涅槃経』の常住の法身ではないとしています。
このような法雲の説に対して智顗は、法華経を「妙因妙果」として、法華以前を「麁因麁果」としながらも、涅槃・華厳を上に置くならば、『法華経』も「麁因麁果」となり、解釈に矛盾をきたしてしまう。そこで智顗は「教・行・人・理」の「四一」の観点から、法華経には「仏性」と「仏身常住」ある「はず」のもの、当然の帰結として「なければならないもの」という観点から批判を加えています。
また菅野先生には様々なエピソードもご紹介いただき、『法華玄義』も智顗のみの述作というより、智顗・灌頂の「共著」と言っても過言ではないという視点や、吉蔵が、中国人ではなくパルチア人であって、そういった出自の中国の仏教者も多かったということなど、とても興味深いことでした。
無事に今年最後の講義を終了しましたが、次回、第10回は「法の解釈」として、年が明けた平成29年1月23日(月)に行われる予定です。明年も奮ってのご参加、聴講をお待ち申し上げます。