講座③「日蓮教学と中古天台教学の検討」第9回講座報告

講座③「日蓮教学と中古天台教学の検討」第9回講座報告
2016年12月17日 commons

平成28年12月17日、花野充道先生の第9回目の講義が行われました。

今回は、日蓮聖人が「一念三千こそ仏に成る道なり」と述べられているので、成仏の修行である天台大師と日蓮聖人の一念三千の違いについて説明されました。

日蓮聖人は『観心本尊抄』に、「我らが劣心に仏界を具すること信を取り難し」、「一念三千を識らざる者には、妙法の五字にこの珠を包み」と論じて、(一念三千の)妙法受持によって「成仏する(己心の仏界が顕われる=妙覚の釈尊が自身に顕現する)」ことを論じている。また『撰時抄』に、「釈迦如来のみたましい、我が身に入りかわせ給う。一念三千と申す法門はこれなり」とあるように、日蓮聖人の一念三千は、我らが己心に具する釈尊(仏界)の顕現である。

対して天台大師は『摩訶止観』に、一念三千について、「この三千は一念の心にあり。若し心なくんばやみなん。ただ心がこれ一切法、一切法がこれ心なるのみ」と論じている。「円融相即(一心三観)・一即一切(一念三千)」の真理(実相)を覚るために、我が己心を観ずる止観行を修して、来世の初住成仏を目指すのが天台大師の一念三千である。

天台大師は理の一念三千、迹門の一念三千、対して日蓮聖人は事の一念三千、本門の一念三千。日蓮聖人の事の一念三千は、妙法の受持による名字即の成仏である。花野先生はこのように説明されて、日蓮聖人の成仏論の講義を終えられました。

次回は、日蓮聖人の曼荼羅本尊論の基底にある密教について、まず不動・愛染の問題と花押の問題について講義してくださるそうです。皆さまのご聴講をお待ちしています。