平成28年11月28日(月)菅野博史先生の「『法華玄義』講義」の後期講座の第2回(前期から8回目:「妙法」解釈についての旧説(1))が行われました。
四悉檀のAB2回の講義にて、上根が解するという「七番共解」を終了し、名体宗用教についての「五重各説」に入り、25名の参加者がありました。
五重各節の初めは名、「釈名」に関するもので、そこに「通別」「前後」「旧解」「正解」との仕分けがあり、今回は「旧解」すなわち過去の「妙法蓮華経」の題目についての様々な解釈を中心にご講義いただきました。
そこで、まず「通別」というのは「妙法蓮華経」の題目の他経との共通点と相違点のこと、また「前後」というのは、「妙」が言語道断の状態を表すことから、「法」すなわち理から解釈を始めていきたいということを意味します。
ただ、やはり「妙法」は畢竟一体のものなので、「旧解」つまり天台以前の解釈から「妙法蓮華経」の題目についての諸説を紐解きながら、「釈名」していくというのが天台あるいは天台教学の方法論です。
その諸説の中でも、大きな影響を与えたのが嘉祥大師吉蔵(549-623)で、吉蔵は竺法護の「正法蓮華経」の「正」という語は、確かに原文的には適切かもしれないが、それでは中華文化に対応できないとして、老荘思想に近親性もある「妙」が不十分でもあるかもしれないが、適切な表現ではないかと説示しています。すなわち翻訳の限界性を認識しつつ、妙法を受持するための文化的背景を整えようとしていること、まさに卓越した見解と思いました。
また、体験主義をベースにする南岳慧思の説、「妙」はすなわち「衆生」であり、「法」とは衆生の法であるとの説も、後の、日本の仏教の発展史でも驚くべきことと感じました。
次回は、「妙法」解釈についての旧説(2)として、12月19日(月)に行われ、更なる題目解釈の深淵に迫る模様です。本当にめったに聞けない内容となると思います。是非皆様のご参加をお待ち申し上げます。