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東京大学史料編纂所では明治時代から国史編纂事業として史料収集がなされ、原本収集や修理、影写本、謄写本の写本を作成収集をした。鎌倉時代の藤原(三条)実躬の日記『実躬卿記』を紹介。日記を付け儀式の執行の記録などを後世に伝えることで昇進に役立ち、子息公秀が「大臣家」となり正親町三条家を確立した。
公家の日記は原則非公開だが、姻戚関係などで広がり江戸期に加賀藩主前田綱紀による写本作成や原本修理が行われた。この前田家『実躬卿記』が後世、公家社会で転写が繰り返され真正な写本、考証学的関心、原本に忠実な史料の認識が高まる。
近世の偽法令「慶安の御触書」は、教科書に掲載されたが「元禄10年(1672)に甲府藩法「百姓身持之覚書」として成立した」「地域的な教諭書」であった。これらは「幕府側の体制に即したコンセンサスの下で真正な文献として近世社会に受け入れられていた」偽書であっても肯定的に共有されるという近世偽文書の一つの特徴。
東アジアにおける儒教・仏教・神道の展開は、中国で三教が対立したが皇帝権により三教一致が説かれた。朝鮮半島では朝鮮王朝時代以降、儒教が主となり、日本では仏教の影響が強かった。世俗の権力、幕藩体制が社会に浸透したことが中世とは大いに異なり、偽文書に関わる正統と異端の問題が顕在化してくる。吉田神道におい、近世は朱子学の影響で考証主義の発展により秘伝が否定されるなかで、復古主義も台頭してきた。
近世の武田浪人偽文書について、厳格な考証審査の概念はあるが、真正さより身分認定に必要な〈物語り〉として機能しているかが重視された。宗教的な文書の真・偽について、資料・論点が出尽くされたならば論争を一旦停止するのがルール。真偽未決という立場を認めることが近代的学問の基本。世俗的偽文書について「社会的価値が集団的に是認されれば真正な文書に準ずる機能を発揮した」が、それには政治権力が大いに介在する。
現代でもフェイクニュースをある程度共有、排除という両者がいることは、中世・近世を通じた偽文書問題に通じることがあるのではないか。偽文書は善悪二元論ではなく、それを受容した社会のあり方を考え寛容になりつつも、現代社会では蓄積された史料を基に「情報の真贋を見極めることの重要性も改めて確認しておきたい」。
偽文書は悪ではないし、真偽が定まらない立場があってもいい。なので、日蓮遺文の真偽問題に対して意見を言える立場にはないので、その問題を迂回し触れずに本講座〈日本の偽書・偽文書を読み解く〉を終える。(担当スタップ)

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