講座「歴史から考える日本仏教⑪ 中世の臨終行儀―『往生要集』から日蓮の時代へ―」第3回講座報告

講座「歴史から考える日本仏教⑪ 中世の臨終行儀―『往生要集』から日蓮の時代へ―」第3回講座報告
2024年6月14日 commons

【第3講 正念に失敗する―不安と臨終―】

令和6年6月18日(火)午後6時30分より、菊地大樹先生による連続講座「歴史から考える日本仏教」の第11回目「中世の臨終行儀―『往生要集』から日蓮の時代へ」の第3講となる「正念に失敗する―不安と臨終―」が、オンラインで開催された。今回は、第2講の「臨終時に正念を持つという理想に、抑圧的な側面(失敗の不安)があった」という結論を受けて、「臨終正念」に失敗する障害リスクを詳しく見ていった。

はじめに、『臨終正念』の第4章「兆しを解釈する」を参照しながら以下のことが確認された。①兆し」は瑞相とは限らず、その往生の成否を解釈する必要が生じていた。②臨終時は一点でなく曖昧で境界的な過程であり、失敗のリスクも大きい。③失敗を打ち消す解釈が行われるのは、既に往生がその念仏集団の存続にかかわるほど「社会的現実」になっていたからで、また突然死や災害死などの「瑞相の確認」と「往生の認定」も行った。④「臨終正念」という安心が整えられることで、逆にハードルが上がって達成できない不安を生み出し、次なる歴史的段階に移って行くことになった。

Ⅰ「危険と障害」では、突然死の怖れや死期の予知が問題とされ、また断末魔の苦しみから意識喪失してしまうことや、愛着の危険性や、死後にも財産等に執着する事、そして魔の妨害があること等の他に、往生を宗教的な自死として行う際のリスクなども挙げられる。また、Ⅱ「生存者(遺族)の反応」では、九条兼実の長男の良通が臨終正念もなく突然死したことで、死後に臨終出家の作法を行った。このことは、臨終時の思いが浄土再生を決めるという論理(臨終正念)から、遺族が故人のために死後に功徳を送る(回向供養)という、葬儀の論理への転換となった。そのほかに師匠の往生が理想と齟齬した事例や、伝統的な作法を破る禅宗的な「臨終ヒロイズム」が起こったという。Ⅲ「戦略的準備」では、臨終行儀のリハーサルや「只今臨終」の観想が行われたり、功徳の数量信仰が起こったが、量的実践も広がる不安を納められなかったという。

まとめとして、①熟練の修行者でも失敗するという、希望(往生)のメッセージの限界が警告されていた。②不吉な死は社会的なマイナスなので、肯定的解釈を施しすぐに葬儀で隠して、往生として喧伝した。③臨終正念主義が生み出す不安として、世俗・超俗であらゆる社会階層の人々が臨終正念を目標にしたが、その行いは安心感をもたらさなかったと述べ、講義を終了した

次の最終回は7月9日で、いよいよ「臨終行儀書と日蓮・日蓮宗」がテーマに開講されます。ぜひ、ご聴講ください。(スタッフ)