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【第2講 規範的な死―臨終行儀の理想―】

令和6年5月14日(火)午後6時30分より、菊地大樹先生による連続講座「歴史から考える日本仏教」の第11回目「中世の臨終行儀―『往生要集』から日蓮の時代へ」の第2講となる「規範的な死―臨終行儀の理想―」が、オンラインで開催された。

今回は、ストーン博士の『臨終正念』では「第二章「離れるべき世界」」の内容を参照して、『往生要集』の「厭離穢土、欣求浄土」という両者の関係を考察する。そして、臨終の儀礼化と理想化がどのように行われてきたのか、ⅠⅠ「死の準備―浄化と分離―」、Ⅱ「儀式の形式」、Ⅲ「きざし」という三つの視座からその様相を見ていく。

始めのⅠ「死の準備―浄化と分離」では、まず臨終時に要請される「正しい瞑想(正念)」とは死の瞬間における精神集中だが、それが「正しい瞑想」であるかどうか、外見からどう判断されるのかが課題とされる。また、理想的で規範的な死の四つの要素として、①死の準備(別の空間に籠る)、②死の空間で採用されたしつらえ(環境づくり)、③理想的な死までに行われる儀礼作法、④往生を遂げたという証拠、が挙げられる。『往生伝』には、自分の死を予知する話も多くある。また死の準備として、身心を清める、俗世を離れ、茶だけか断食をする(苦行)、財産を処分する(執着を断つ)、女性を遠ざける(男性優位の禁欲)などあり、「受戒」して僧となることも、死後の冥福の保証とされる。また、臨終を迎える儀礼空間として、今のホスピス病棟のような外界と遮断された「無常院」が用意される。

Ⅱ「儀礼の形式」としては、中心に本尊の仏像や来迎像や図を置き、五色の糸でつながる設定をして、仏具や願文を持って読経・念仏・唱題・陀羅尼などを唱える。また『法華経』提婆品の「破地獄文」(浄心信敬不生疑惑者 不堕地獄餓鬼畜生 生十方仏前~)を衣服に書いたり部屋に祀ったりした場合もあった。

Ⅲ「きざし」は往生の瑞相のことで、黄金の光、紫雲、音楽、良い香り等が記されている。また浄土教では、阿弥陀仏の来迎を意味していた。「夢や幻視」も往生を遂げた(遂げる)ことの重要な証拠で、遺族が見る夢も証明となる。また、身体(遺体)に現れる瑞相としては、肉体的な腐敗がないことや、入寂の日や臨終時に排泄がなく、遺体が良い香りを放つことも往生の証拠とされた。

以上のような準備の上で瑞相のある「理想的で規範的な死」を迎えるのだが、緻密に演出された儀礼のなかで、正念をもって霊的な力(弥陀来迎など)を得て往生する往生人は、六道輪廻から解脱した聖人となる。聖人は、理想的モデルであるとともに稀なる存在であり、自分がそうした困難を克服できるのかという不安も与える。そのため「最後の瞬間に正念を持つ」という理想には、抑圧的な側面があった」と述べられて、講義は終了した。

次回の第3講は、6月18日になります。ご聴講のほどお願いいたします。(スタッフ)

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